原題:The Hurt Locker
制作:2008 年 アメリカ
監督:キャスリン・ビグロー
キャスト:ジェレミー・レナー / アンソニー・マッキー / ブライアン・ジェラティ / ガイ・ピアース / レイフ・ファインズ / デビッド・モース / エバンジェリン・リリー
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2004 年、イラク・バグダッド。次々しかけられる爆発物処理に日々奔走する処理チームに、新しい班長としてジェームズが赴任してくる。無謀ででたらめなジェームズのやり方に巻き込まれ、チームメンバーのサンボーンとエルドリッジはいらだちを募らせてゆく。
戦争映画だと思って観たので少し消化に時間がかかってしまったけれど、この映画は実際のところ人間ドラマなのだと思う。
主人公のジェームズは破天荒で恐れ知らず、独断でチームをかき乱す癖の強い人間でありながら、同時に 800 を超える爆発物を処理してきたスペシャリストでもある。独善的でありつつ、情深く誠意もある。そして班員の前とひとりきりの時とでまるで別人のような顔を見せる。
この映画が作られた 2008 年当時、イラク戦争はまだ集結していない。決着のついていない現実を語れるわけもなく、この映画は戦争そのものについてはほとんど何も示さず、ただジェームズというひとりの軍人が自分の仕事に対して何を考え、どう働いているかに終始している。間違ってもこの映画を観て「イラク戦争ではこんなことが起こっていたのか!」なんて思ってはいけない。戦争を知った気分になってもいけない。戦争や爆発物処理をテーマにした映画ではない。爆発物処理という仕事に従事するひとりの人間を見せている映画なのだ。
アメリカという国がイラク戦争を描くにあたって人間ドラマを追うだけなのはあまりに無責任なんじゃないのか、と思ったのだけど、それは逆なのかもしれないとも思う。イラク戦争について何かを語るにも言いたいことを見つけるにも今はまだあまりに時期が早く、出来るのは爆発物処理班のなかのひとりの兵員はこうやって働いている(そう、場が戦場だとはいえ「戦っている」ではなく「働いている」)という姿を描くことだけなのかもしれない。ジェームズの姿に乗せて何かを主張しようにも、2008 年現在ではまだそれはきっと不可能なのだ。
戦争映画としてでなく一映画作品として見たとき、『ハート・ロッカー』はジェームズとそのチームメンバーの日々を淡々と追うだけでありながら決してリズムと緊張感を失わない佳作だったと思う。印象的なシーンが多くて退屈しない。
言葉のわからない赤ん坊以外に内心を打ち明けられる相手のいない姿を見せつけることで深い哀愁を示しながら、最後の最後にはジェームズはまた自分の弱い部分をすべて綺麗に包み隠して、高揚感あふれる BGM に乗って無防備にすら見える足取りで歩いていってしまう。幾重にも人格を持った、深みを感じる人物造形だ。彼の存在がこの映画のすべてだ。この映画に戦争という現実の答えを見つけようとしてはいけない。ジェームズというひとりの男の仕事に向けた生き方をただ見るべきだ。