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『檸檬』 梶井 基次郎
檸檬
初版:1931 年 武蔵野書院
>> Amazon.co.jp(新潮文庫)

 感じてはいても人々が取りこぼしているものを掬い上げて言葉という形に残すのは、作家の根本的な役割のひとつだと思う。私はこの本を読んでいる間、何度も「自分がいつか感じたとりとめのない感覚」がここに表されていると感じた。
 多くのひとが感じている哀惜や生きにくさ、孤立感や違和感といったものを、梶井さんは丁寧な言葉遣いで焦らず、ゆっくりと、まるで時間の流れすら遅らせるような筆致で描く。そこに書かれる感情は読者がかつて持っていたそれそのもので、それが明確な形となって存在することに、読者は深い安堵を覚える。

 「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」という有名な書き出しで始まる「桜の樹の下には」をのぞいて、どの作品も主人公たちは皆被害者だった。わかりやすいところで言えば結核という病や、もっと象徴的に言えば生そのものに蹂躙されながら生きている人々だった。間違っても、彼らを虐げるのは死ではない。生が彼らを苦しめる。
 ほとんどの作品で、主人公は作者の写し身だ。けれど、同時に確かに読者の影もそこには写っている。

 「K の昇天 ――あるいは K の溺死」という一編が、二十の作品群のなかでも印象深い。
 手紙の形式で、K というひとりの青年の哀れな、あるいは美しい死の情景が語られる。密な夜の気配と、理知的でありながらどこか浮世離れした K の思考、そして想像で語られる死に際した時の K の意識。そのような物ものが、現実と幻想の入り混じる文章で描かれる。この掌編の終盤で、私は強すぎる抗いがたい酩酊の波にさらわれた。
 もっとも美しく主人公が苦しみから救われるこの物語が唯一主人公の死んでゆく小説だということが、この作品集を象徴しているように思う。
2011.06.26