二度観てみて、「こりゃねえな」、という結論に至ってしまった。さみしい。『サマーウォーズ』には熱狂させてもらったので、そういう作品を作ってくれた監督の映画を楽しめないのは寂しい。
物語を語るにはいくつかの媒体があり(アニメ、小説、実写、漫画等々)、それらにはそれぞれの文脈がある。テレビアニメに対して「どうしてどのキャラクターもいつも同じ服なの?」とか訊いても仕方がないし、ゴールデンタイムの時代劇に「どうして刀で切られたのに血が出ないの?」と言っても仕方がない。
『おおかみこどもの雨と雪』について、花の雨に対する態度ないわーとか雪ほったらかされ過ぎで空気だわーとかそういう物語に対する感想もなくはないんだけど、それ以前に、「アニメの文脈を引用しつつ現実的な感情を描こうとする」ところに無理を感じてしまう。
死とか生きるために食べるものを育てるとか子供が育つということとかそういう比較的生々しいことを描いておきながら、授乳中の女性の乳首が真っピンクだったり子供ふたりを軽々と抱え上げる描写だったり(三歳児と二歳児ふたりを女ひとりで抱えるって凄まじい重労働)、人間からおおかみになるとどうして服が肩にかかる状態になるのかとか上下つなぎの服着て人間からおおかみになった時しっぽが外に出てるけど穴が開いてるのかとか、そういうことはすべて「アニメの文脈」で無視することになっている。
こういうのを観せられると「それはずるいよ」と思ってしまう。現実じみたものを描くならアニメの文脈を引用するのは諦めようよ、と。このギャップが物語を語る前提条件をちぐはぐにして、作品を観ていて落ち着かない気分にさせられてしまう。
物語を語るにはいくつかの媒体があり(アニメ、小説、実写、漫画等々)、それらにはそれぞれの文脈がある。テレビアニメに対して「どうしてどのキャラクターもいつも同じ服なの?」とか訊いても仕方がないし、ゴールデンタイムの時代劇に「どうして刀で切られたのに血が出ないの?」と言っても仕方がない。
『おおかみこどもの雨と雪』について、花の雨に対する態度ないわーとか雪ほったらかされ過ぎで空気だわーとかそういう物語に対する感想もなくはないんだけど、それ以前に、「アニメの文脈を引用しつつ現実的な感情を描こうとする」ところに無理を感じてしまう。
死とか生きるために食べるものを育てるとか子供が育つということとかそういう比較的生々しいことを描いておきながら、授乳中の女性の乳首が真っピンクだったり子供ふたりを軽々と抱え上げる描写だったり(三歳児と二歳児ふたりを女ひとりで抱えるって凄まじい重労働)、人間からおおかみになるとどうして服が肩にかかる状態になるのかとか上下つなぎの服着て人間からおおかみになった時しっぽが外に出てるけど穴が開いてるのかとか、そういうことはすべて「アニメの文脈」で無視することになっている。
こういうのを観せられると「それはずるいよ」と思ってしまう。現実じみたものを描くならアニメの文脈を引用するのは諦めようよ、と。このギャップが物語を語る前提条件をちぐはぐにして、作品を観ていて落ち着かない気分にさせられてしまう。