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『女の子よ銃を取れ』 雨宮 まみ
 どう読んだものか終始迷い続け、結局迷ったまま読了してしまった。
 タイトルに「女の子よ」とあり帯文に「『キレイになりたい!』と、言えないあなたに。」とある通り、この本は「女の子」である著者が同じ「女の子」である読者へ向けたメッセージエッセイだ。「社会の常識や周囲の視線に屈して自分の好きな装いをすることを諦めなくていい」というメッセージがあらゆる視線から徹頭徹尾語られる。

 が、私は性自認が女性ではない。
 著者である雨宮さんはこの一冊のなかで「女性」というジャンルをなるべく広く捉えようとしているけれど、それでも雨宮さんご自身が「化粧が好き」で「装うことは楽しい」と仰る方だ。視点はどうしても「女の子はキレイになりたいと思っている」という価値観が支軸になってしまう。自身に女性性を感じていない自分は、この一冊を読みながら別世界を覗き見ている気分でいた。

 それでも、付箋を貼った章が二つあった。「“男の世界”の女の子」と「綺麗になりたくない女の子」という章である。

 この社会において、女性の「おしゃれ」とは“なぜか”「男性に気に入られるため」にしているということになっている。その事実は昔の私を常時足かせをはめられている気分にさせていた。今はもう笑い飛ばせるようになったけれど、二十代前半の頃は「異性のための服装ではない」のに「異性に対する服装として適しているか」を尺度に自身の外見をジャッジされることへの嫌悪感で潰れそうだったことを覚えている。
 当時はまだ自分の性自認が女性ではないという自覚がなく、それゆえに社会の価値観に迎合するかたちで今よりも女性的な格好をする機会が圧倒的に多かった。が、それでもそれは「自分が気に入った服」を身につけているだけであって「異性の気を引くため」ではなかった。そもそも私は外見と内面のギャップが大きい人間なので、外見から人間性を判断する人とはその後関係に必ず大きな摩擦を起こす。だから、外見的に「かわいい」女の子を好きなヘテロセクシュアルの男性は遠ざけておきたい存在だった。
 それでもなお、どんな服装をしていても、自分の外見を「自分で自分を気に入るための服装をしているのだろう」でなく「異性にモテるための服装として選んでいるのだろう」としか判断されない息苦しさ。あの窮屈さは忘れがたい。

 そして、「綺麗になりたくない女の子」という章では、雨宮さんが自身の「キレイになりたい」「装うことは楽しい」という視点から離れ、自身の外見をキレイにすることに関心のない女性のことを取り上げている。
 これは、女性ではなくとも女の体を持っている人なら多くの人がぶつかっている壁だろうと確信する。
 「女の子はおしゃれが好き」で「キレイになりたい」“はず”だというこの社会の観念。外見的に女性である人は、私のように性自認が女性でないとしても、「こうすればキレイなのに」という言葉や示唆にさらされる。化粧をすればいいのに、スカートを履けばいいのに。
 自身が求めていないものを、なぜ他人から求めさせられなければいけないのか。
 例えば誰かが運動が嫌いだと言ったところで、本が嫌いだと言ったところで、周囲の人は何も言わないでしょう。何を好きで何を嫌いかは本人の自由なのだから。なのになぜ、女の体を持って生まれた人間は綺麗に装うことを好きでいなければならないのか。「化粧なんて必要ない」「服を買うより本を買いたい」と言うとなぜ非難の目で見られなければならないのか。これは、この社会が抱える深い歪みだ。
 これは発展して、体も性自認も男性だが美しさを求める人への抑圧にも繋がってゆく。自分の求めるものを自分で決められないという理不尽が、なぜか外見に関する事柄に関してだけは堂々とまかり通ってしまっている。
 個人的な話をするなら、私は別に「綺麗になりたくない」わけではない。ただ私が私自身に願う「綺麗さ」とは姿勢や歩き方、食べ方などの所作振る舞いであって化粧のうまさや服を選ぶセンスではない、ましては「女性的であること」では決してないということだ。「女性(の体の持ち主)が綺麗であることを願う」と「女性的であること」が何の疑いもなくイコールの記号で結ばれていること自体に、私はノーを突きつけたい。

 自身に特に関わりの深い二章を取り上げて話してみたけれど、とにかくこの本にはこのように「この社会がいかに女性(あるいは女の体を持っている人間)を狭く特定の枠に押し込めようとしているか」という話が幅広く綴られている。
 性自認が女性ではなくかつ女の体を持っている私が共感できる部分があったのは上記二章のみだったけれど、性自認が女性である方ならば、より多くの共感を抱けるエピソードがあるのではないかと思う。

 女性が自分自身の美の基準を持つことを妨げられ、あるいは美を求めることを強いられているのが今の社会だ。
 自分の好きなものを好きだと言うこと、不要なものを不要だと言うこと。たったこれだけのことが、なぜか「女性」と「おしゃれ」の間では成り立たっていない。このねじれを打ち壊したいという著者の思いが、タイトルの「銃を取れ」というフレーズにあらわれている。

 自分は誰かのためにいるのではない。自分の求める自分を他の誰が求める自分よりも優先していい。この著者のメッセージを、私自身からも、性別関係なく社会からの抑圧に苦しむすべての人に伝えたい。
初版:2014年5月 平凡社
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2014.08.24