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『八本脚の蝶』 二階堂 奥歯
 二階堂奥歯。読書家。編集者。ブックレビュアー。1977年に生まれ、2003年4月26日に飛び降り自殺によってこの世を去る。
 八本脚の蝶とは彼女の徴であり、彼女が2001年6月13日から自殺の当日まで日記を綴ったウェブサイトの名前でもある。この本にはそのサイトに掲載された日記がまとめられている。

 日記というのは読みやすい。奥歯さんは「生まれてから過ごした日数をはるかに越える冊数」の本を読み、しかもその幅は幻想文学からエログロコミックまで幅広く、はてしない本の世界を縦横無尽に超高速で駆け抜ける。私が家の近所を徒歩でとぼとぼと歩いている間に、奥歯さんは月へまでも飛んでゆく。圧倒的で越えられない量と質の差。そんな彼女の日記は、なおさらべらぼうに面白い。1ページめから引き込まれて、時間を惜しんで読みふけり、久しぶりにスピード感のある読書をした。
 コスメの話や洋服の話も随所に現れ、彼女は自らを乙女と規定する。同時に、自己が他者から着せ替え人形として扱われ得る性(=女性)であることに非常に自覚的であり、女性的装いをする自分を指して「ドラァグクイーンである」と言う。彼女は鮮烈で明晰なフェミニストでもある。

 どのあたりからだろうか。彼女の日記から、彼女の言葉が減ってゆく。書物からの引用が増える。コスメや洋服の話をしない。何かを楽しむ描写がない。読むのがつらくなり、自殺という結末を知っている私はなおさら、読み進めるのが恐ろしくなる。ページをめくるスピードが落ちる。続けて何ページも読むことができなくなる。呼吸するために本を置かざるをえない。体が冷えてゆく。絶対零度の極寒にいるような心地がする。
 しかし、死へ向かう人の言葉から意識を逸らすことを自分に許すことはできず、自分の日常のなかでも常に思考の一端を彼女の意識とリンクさせ続けている。

 あらゆる自殺は止められると思っていた。人はだれも自ら死を選ばない方法を持っていると信じていた。これは信念ではなく、信仰だと自覚している。そう信じたいから信じるのであって、根拠はない。しかし、「信じたい」だけを理由を信じてこれたのは、否定される根拠もなかったからだ。
 『八本脚の蝶』を読んで、信仰が揺らいだ。生きていて欲しかった。彼女の数年先、数十年先を見てみたかった。しかし、では目の前に彼女がいたとして、私は彼女に「生きていて」と言えるだろうか。言えはしない。それを確信できてしまう。
 彼女を孤独にしたくないが、私では、そしておそらく他の誰でも、彼女に寄り添うことができない。彼女から与えられるばかりで、誰も彼女に何かを与えられない。
 周囲に対してあまりにあけすけに生きていた彼女に対することだから、私も逃げずに言わねばならないと思う。彼女と比しての自分の凡庸さに、安堵する自分がいる。凡庸ゆえに生き延びられる自分に安堵する。

 お会いしたことのない人を下の名前で呼ぶことを私はしない。ただひとりだけ、中山可穂さんという作家だけはひっそりと「可穂さん」とお呼びして来た。自身もレズビアンであり、レズビアン小説を多く書かれている可穂さんは、私にとってどうか近くにいさせて欲しいと願う存在であるからだ。
 奥歯さんもまた、どうしても、失礼を承知の上で、「奥歯さん」と、小さく名前で呼ばせて頂きたい方である。
2006年1月 ポプラ社
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2014.10.14