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『春を恨んだりはしない ――震災をめぐって考えたこと』 池澤 夏樹
 3 月 9 日、下北沢の本屋 B&B で開催された「震災復興を問いかける 文字の力、映像の力」というイベントに行ってみた。ドキュメンタリー映画『大津波のあとに』を撮った森元監督と、作家・池澤夏樹さんのトークイベントだ。(当日帰宅後に書いたイベントに関する短い感想はこちら)
 その日、この本を買った。震災からちょうど半年後の 2011 年 9 月 11 日に刊行された、副題の通り池澤さんが震災について考えたことを書いてある。
 被災した方、被災地にボランティアとして入った方、東京で帰宅難民となった方。あの災害に出くわし、関わった方の声やエピソードが汲み上げられている。そこに、池澤さんがもともと持っていた知識や、被災地に幾度も足を運んで見たものから考えられたことが加えられてゆく。

 イベントのなかで、「震災から半年の日に出したかった」と池澤さんはおっしゃっていた(メモを取っていないので正確ではない)。震災から半年という、何もかもが風化する以前の、リアルタイムのものを本という手段を用いて残しておく、という意味合いであったと思う。

 二年が経った今読むと、当時の様子がまたまぶたの裏にはっきりと蘇ってくる。あの津波、あの一面の火の原が思い出されて理由もなく涙が出てくる。暖房を切った部屋でひとり毛布にくるまってじっと Ustream で流される NHK の放送に見入っていた。他の何もできなかった。

 また、当時の池澤さんが今後の日本に期待したものが、主に原発の廃炉という方向に政治の舵が切られることへの期待が裏切られていることに痛みと申し訳なさを覚える。
 現在は、この本から見た未来である。二年というのは短い、けれどあの地震と津波と原発事故によって生活を根こそぎ奪われた方にとっては絶望するにも、希望を見出すにも充分すぎるほどに長い時間であったはずだと思う。その間に、自分が何をしたかを問う。何もしていなくて、漫然と穏やかに、あの震災が時間の流れるがままに遠ざかっている。

 一年半を経てようやくこの本を読み、このままではいけない、と目を覚まされた思いがする。自分の生活で手一杯で被災地へ行くことすらできないでいる自分は、目が覚めたところで物理的にできることはほとんどない。それでも、ならば、せめて出来る限りの事実を知ること、そして自分の頭で考えることをしなければと思う。
 多くの本や映像が公開されている。そんななかで、最初に触れた東日本大震災に関する本が作家のエッセイであったことは非常に私らしいことであると思う。

 太平洋戦争終戦の年に生まれた池澤さんは、すでに円熟した作家である。その池澤さんが、「作家になって長いが、こんな風に本を書いたことはなかった」と言う。「書かなければならないことがたくさんあるはずなのに、いざ書き始めてみるとなかなか文章が出てこない」と言う。読んだことのある池澤さんの著作は多くないが、それでもめったに見かけないほどの素晴らしい表現力を備えた方であることは確かであると断言できる。そんな方が、「薄い本なのにこんなに手間がかかった」と執筆の時間を振り返る。
 時間がかかったのは、原発、自然と人間、ボランティア、天災、風力発電といった「これまでに考えてきたことをもう一度改めて考えた」からだという。人生を通して調べ、考え、書いてきたことの多くを、一どきに再考させる。そうしなければ、あるいはそうしても、全体像を描くことが難しい。

 2011 年 3 月 11 日に起こったのはそういうことだった。

 少し長いけれど、一冊を通して私がもっとも胸に刻み込まねばと思った部分を最後に引用する。

 破戒された町の復旧や復興のこと、仮設住宅での暮らし、行政の力の限界、原発から洩れた放射性物質による健康被害や今後の電力政策、更には日本の将来像まで、論ずべきテーマはたしかに多い。
 社会は総論にまとめた上で今の問題と先の問題のみを論じようとする。少しでも元気の出る話題を優先する。
 しかし背景には死者たちがいる。そこに何度でも立ち返らなければならないと思う。
 地震と津波の直後に現地で瓦礫の処理と同時に遺体の捜索に当たった消防隊員、自衛隊員、警察官、医療関係者、肉親を求めて遺体安置所を巡った家族。たくさんの人たちがたくさんの遺体を見た。彼らは何も言わないが、その光景がこれからゆっくりと日本の社会に染み出してきて、我々がものを考えることの背景となって、将来のこの国の雰囲気を決めることにはならないか。
 死は祓えない。祓おうとすべきでない。
p. 9

 続いて、放射性物質についていずれ現れるはずの癌とその被害者について以下のように続く。

撒き散らされた放射性の微粒子は身辺のどこかに潜んで、やがては誰かの身体に癌を引き起こす。そういう確率論的な死者を我々は抱え込んだわけで、その死者は我々自身であり、我々の子であり孫である。不吉なことだが否定も無視もしてはいけない。この社会は死の因子を散布された。放射性物質はどこかに落ちてじっと待っている。
p. 10

 これらすべてを忘れないこと。
 今も、これからも、我々の背後には死者たちがいる。
p. 10


 あの震災で亡くなった死者たちを常に感じていること。そして、生き残った人々に絶え間ない想像を巡らしつづけること(特に、被災地から離れた場所に住む私のような人間は)。
 どのようなかたちであの震災に関わるにしろ、このふたつを根本から伸びる二本の柱としなければいけないと考える。
初版:2011 年 9 月 中央公論新社
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2013.03.12