宮崎駿監督の映画が好きではない。面白いからという理由で好きではない。
映画に限らず、小説でも音楽でも、楽しませる手腕に円熟した表現者の作品というのが苦手だ。処女作が代表する、まだ技法の育っていないひとの作品がはらむアンバランスさとそこに生まれる迫力が好きだ。
そんな私にとって、「精確な名作らしさ」を常に撒き散らす宮崎映画は、観れば面白く、その面白さゆえに入れ込めない作品群だった。
宮崎駿監督の息子である(つまりは「二世は成功しない」という定説の当事者である)という先入観をのぞいても、『コクリコ坂から』にはその「名作らしさ」がないと思う。筋書きはうまくない、気持ちを預けやすい物語の起伏もない、これはという名台詞もない。ぼんやりと観て、ぼんやりと観終わって、さっと席を立って、家路につける。観客をその後精神的・物理的放浪に旅立たせたりするような、長く尾を引く余韻がない。
そして、そのすべてがこの一本の映画の魅力になっていると思う。
ナウシカやラピュタは名作だけれど、名作すぎてどこかがどっと疲れてしまうのだ。厳しくも陰鬱でもないトトロですら、観終えた後に残る質量は少しばかり大きすぎて、自分の体をわずかに重く感じるのだ。
そんな系列のジブリ作品に、新たにこの『コクリコ坂から』が加わったことは、きっと先々大きな意味を持ち出すのじゃないだろうか。そういう期待を、心のどこかでこの作品には預けてしまう。
ストーリーも、キャラクターも、特別激しい魅力を放ってはいない。けれど、唯一強烈な吸引力を持つ物語の中心に座す伝統のクラブハウス「カルチェラタン」の雑然とした清々しさと、あらゆる「明快な面白さ」の「なさ」が加わって、観終えてすぐに忘れてしまいそうな、けれど実は数ヶ月に一度はふっと思い出すような、そんな映画になっていると思う。
映画に限らず、小説でも音楽でも、楽しませる手腕に円熟した表現者の作品というのが苦手だ。処女作が代表する、まだ技法の育っていないひとの作品がはらむアンバランスさとそこに生まれる迫力が好きだ。
そんな私にとって、「精確な名作らしさ」を常に撒き散らす宮崎映画は、観れば面白く、その面白さゆえに入れ込めない作品群だった。
宮崎駿監督の息子である(つまりは「二世は成功しない」という定説の当事者である)という先入観をのぞいても、『コクリコ坂から』にはその「名作らしさ」がないと思う。筋書きはうまくない、気持ちを預けやすい物語の起伏もない、これはという名台詞もない。ぼんやりと観て、ぼんやりと観終わって、さっと席を立って、家路につける。観客をその後精神的・物理的放浪に旅立たせたりするような、長く尾を引く余韻がない。
そして、そのすべてがこの一本の映画の魅力になっていると思う。
ナウシカやラピュタは名作だけれど、名作すぎてどこかがどっと疲れてしまうのだ。厳しくも陰鬱でもないトトロですら、観終えた後に残る質量は少しばかり大きすぎて、自分の体をわずかに重く感じるのだ。
そんな系列のジブリ作品に、新たにこの『コクリコ坂から』が加わったことは、きっと先々大きな意味を持ち出すのじゃないだろうか。そういう期待を、心のどこかでこの作品には預けてしまう。
ストーリーも、キャラクターも、特別激しい魅力を放ってはいない。けれど、唯一強烈な吸引力を持つ物語の中心に座す伝統のクラブハウス「カルチェラタン」の雑然とした清々しさと、あらゆる「明快な面白さ」の「なさ」が加わって、観終えてすぐに忘れてしまいそうな、けれど実は数ヶ月に一度はふっと思い出すような、そんな映画になっていると思う。
2011 年 日本 91 分
監督:宮崎吾朗
キャスト:長澤まさみ / 岡田准一 / 竹下景子 / 石田ゆり子 / 柊瑠美 / 風吹ジュン / 内藤剛志 / 風間俊介 / 大森南朋 / 香川照之
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