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『新装版 苦海浄土 わが水俣病』 石牟礼 道子
新装版 苦海浄土 わが水俣病
初版:1972 年 12 月 講談社
>> Amazon.co.jp(講談社文庫)

 水俣病は 1956 年に発覚し、その後数十年に渡って解決を見なかった公害病だ。工場が排水を海に流したことにより魚介類が有機水銀に毒され、その魚介類を食べた動物や人間に疾患症状が現われた。重篤な場合には眼や耳が機能を失い、まっすぐに歩くことが出来なくなり、言葉もうまく話せず、発作を起こし、そして死んでゆく。
 著者は水俣病の発生した地に生まれ育っている。この本では、患者とその家族のありさま、医学的・政治的な記録、著者が目にしたデモなどの様子が綴られている。

 ルポルタージュというには、情緒的な描写が多い。順序立てて公害事件を追うというよりも、著者の目に映った被害者たちの姿を極力ありのままに描写するというところに重心を置いている。なので、歴史を追いたいというひとには向かない本だと思う。
 ではこの本の効用はなにかと言えば、水俣病という事件が単なる他人ごとであった多くの人々に対して、被害者を身近な存在にさせたことではないかと思う。

 教科書で見る水俣病という病名、公害事件があったという事実、記録に残る患者数、患者氏名。それらの事実は、非常に残念ながら命ではない。そこにあるのは数字や文字という無機的なものであって、人という命ではない。
 たぶん、人が人として認識されるには生身の体や声、せめて言葉が必要なのだと思う。しかし、紙の上でやりとりされる数字や名前はそれらのいずれも持たない。
 著者は、そんな誰にとっても命ではなかった存在を、心を削って描写することで再び命あるものにしたのだと思う。

 今、福島の原発事故における政府の対応について非難の声があがり続けている。一企業の起こした、その地域に暮らすすべての人々の生きる権利を脅かす事件という観点で、私はこの本を読みながら原発事故を思った。この 50 年以上前の事件から、私たちは何かを学んだんだろうか。
2011.06.05