原題:Die Aufzeichnungen des Malte Laurids Brigge
翻訳:大山 定一
初版:1910 年
>> Amazon.co.jp(新潮文庫)
一生をこの一冊だけで過ごせるだろう、と思う本に時々出会う。これはそういう一冊だった。
この本は、小説ではあるけれど筋らしい筋は存在しない。デンマークに生まれた若き詩人マルテが異邦の地パリで綴る手記という体裁で、マルテの現在が、幼年時代の記憶が、とりとめなく語られる。
マルテというひとりの人間が自身のありようを確かめることを求めて、自身の内部にどこまでも眼差しを向け、そしてそこに見えたものを限りなく飾り偽りなく書き綴っている。そして、手記の書き手であるマルテはおそらく作者のリルケにとても近い。
誰一人知人のない地でマルテの書く手記は、どこまでも透徹した視点で世界を見ている。孤独によって磨かれた視点は、世の人々とは違った風にパリの街並みを映している。マルテはあらゆる場所に死を見つける。
もちろん、見る者によって世界は姿を変える。だから、マルテの見た世界が真実だというのではない。けれど、大衆の感覚を離れただひたすら自己の考察に埋没して書かれる世界のありようは、ここ以外の他のどこでも見られないものだ。
私が「この一冊だけで生涯を過ごせるだろうと」思う本は、一読で理解出来ないほどに難解な本だ。そして、書いた者以外に真実理解するのは不可能だろうというような、独自の視点に貫かれた本だ。『マルテの手記』はまさにそういう一冊だった。折を見ては手にとって読み返してみたいと思う。