その他 > 美術展
松井冬子展 世界中の子と友達になれる
 松井冬子さんの個展を観に行った。三ヶ月前に終了した美術展の感想など何の役にも立たないとわかっているけれど、今も見た時に感じたこと、考えたことをはっきりと覚えているという一点でもって、今さらながらでも書く理由があるとすることにした。松井冬子さんならばこれから先にも展覧会を開かれることがあるだろう。その時に向けての覚え書きでもある。

 おぞましさというのは、おそらく私にとって最も重要な要素である。言語表現として “最も” と言っているのではなく、真実なにもかもに優先する第一の感覚としておぞましさがある。私はおぞましいものに反応するようにできているのだ。
 だから私は松井冬子さんの絵を観る。松井さんの絵は美しく、人を蠱惑し、惹きつけて突き落とす。世に「おぞましい」と表現するに足るものは数あれど、松井さんの絵ほど悲しみと狂気と凶暴さをいっぺんにそなえたものはそうはないと思う。

 この個展へ行ってから数日の間、毎晩ではないけれど松井さんの絵からイメージを受けた夢をいくつか見た。松井さんが繰り返しモチーフにしていた白いボルゾイ白い巨象、他にも具体的には言えない、松井さんの絵にある空気が私の意識に氾濫していた。また、松井さんといえば幽霊画が有名だけれど、私は夢のなかで、まさに松井さんの描く「この世ならざる妄執や怨念」のかたちを感じられるようになっていた。
 創作者の創作姿勢によって作品の立ち位置というのは大きく変化するけれど、松井さんは自分の精神そのものでもって絵を描く人であると私は思う。あまりにあけすけに自分そのものを餌にして、彼女はいつか壊れてしまうのではないかと周囲が恐怖するほどに、自分自身の深淵からすべてのイメージを引きずり出す。
 そうして描いた絵はいずれも松井さんの精神の断片だ。自分の精神を他人の精神に伝播し、震わせる。技術的な話は一切抜きに、純粋に太古から存在してきた人工物が他人を動かす力という意味で、これほど力に満ち満ちた物を創れることに圧倒される。

 自分が愛しているものを考える。そのどれをも、私は愛の奥で恐れているのだと思う。怖いから、愛という蜜で誤魔化さねばいられない。私の世界は恐怖で満ちている。だから、何ものをも愛さずには置いておけない。
 松井さんは自分の恐れるものを絵にしている。そう受け取れる発言を目にしたことがあるし、私自身があの方の絵を観ていてそうなのではないかなと度々感じる。その松井さんの絵を、私は恐ろしいとは一切感じず、腑分け図も狂女の姿も死にゆく動物もただ美しいと思う。そして愛してしまう。
 この奇妙な円環を私はまだうまく解釈できないし、言葉で表すこともできない。しばらくは、私の思考テーマのひとつで在り続けるだろうと思う。

 実は、百点強の展示があった今回の個展で、私は三分の一ほどしか観賞していない。当日少々体調が悪かったこともあり、途中に二度の休憩を挟みながら三時間弱をかけて九つに分かれたセクションのうちの三つ目までを観たところで力尽きてしまった。松井さんの絵にとにかくあてられてしまって、体から何かが抜けてしまったようになって、どうしても集中を取り戻すことができずに残りの六セクションはほとんど足を止めないまま歩き去り、出口まで行き着いてしまった。
 「今日きちんと観られなかったものは後日また観に来よう」と思って横浜美術館を後にしたけれど、結局会期中に胆力が戻らず、多くの展示を鑑賞しないままにしてしまった。惜しい、と思う気持ちがないわけではない。けれどそれ以上に、「仕方がないよなあ」という思いの方が強い。無理や無茶には限度があり、松井さんの絵を短期間にあの量観るのは、私には荷が重すぎた。

 特に印象的だった絵についていくつか。

ただちに穏やかになって眠りにおち
 水に入りまさに自死しようとする白象の、その目元のあまりの柔らかさにいつまでも目を離せなかった。168×408という大きな絵を、本当なら少し離れて鑑賞すべきなんだろうと思いつつ、距離を置けなかった。

朽ちてゆく落ちた花
 題を覚えていない。もう首が落ち、けれど未だみずみずしく美しさは絶頂にあり、しかしもう決して戻ることはない。美しいのにその先には不可逆な醜悪への道しかない。忘れがたい。小品のなかでは最も長く絵の前を離れずにいた。

世界中の子と友達になれる
 デッサンや構図の試行錯誤の過程などがいくつも公開されていた。精密さ、藤の花が下がるにつれて黒い蜂の群れになってゆく様(遠目にはただ美しいのにまじまじと観るとそのおぞましさに気づく)、まさにこの展示の目玉となるべき大作で、そのなかで私がもっとも興味深かったのは、完成品とデッサンとの少女の目の違い。完成品での少女はもう何ものも見ず狂気の淵を滑り落ちているけれど、デッサンでの少女は今まさに自分の前に絶望の淵が広がっていると気づいたところ、この先に何かあると思われていた光、希望、温かさ、そういったものが実は一切ないと知ったまさにその瞬間の、呆然と佇む目に見えたのだ。
会場:横浜美術館
会期:2011.12.17-2012.03.18
≫ 展覧会公式サイト
≫ 「松井冬子」公式サイト
2012.06.25