映画 > 洋画
『ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2』
 トリアー監督はリアリストである、と思う。作品を観るのは『ダンサー・イン・ザ・ダーク』以来で、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』はまだまだ映画経験の浅かった高校生の私にとってほとんど初めての娯楽品ではない映画作品だった。ぼろぼろに泣いたが、あれを悲劇だと感じたあの頃の私はまだ世界を知らなかったのだなと思う。
 あれから十年以上が経って、『ニンフォマニアック』を観た。雪の降る夜、薄汚れた路地裏でジョーが倒れている。年齢はおそらく四十代、流血し、気を失い、細い体を街路に横たえている。近所のグロサリーに買い物に出た初老のユダヤ人セリグマンがジョーを見つけ、救急車も警察も呼ぶなという彼女を自宅へ連れて帰る。パジャマを貸され、ソーサー付きのカップでミルクティを出されたジョーは、セリグマンに尋ねられて自身の来歴を語り始める。
 「自分の性器に気がついたのは2歳の頃だった」と始まる彼女の人生は、性と共にあり続けたものだった。
 全八章、240分の上映時間がVol.1、Vol.2の二編に分かれている。長いが、できれば続けて観ることを勧めたい。これは二本の映画ではなく、Vol.1/Vol.2合わせて一本の映画だ。

 自らをニンフォマニアであるとジョーは言う。そして自らのセクシュアリティを「セックス依存症」という「病気」として治療されることを拒絶する。多数派の人々と性の有り様は異なるが病気ではない、欲望によってセックスをするのであって依存心や欠乏感からではないと宣言する。
 なるほど、と思う。
 彼女はある視点からは異常者かもしれないし、その異常性によって他人を犠牲にしながら生きてきた。それは事実だし、何よりジョー自身がそれを強く自覚している。しかし、そういう人々はどうしても存在してしまうのだ。ジョーがニンフォマニアであるのは彼女自身の責任ではない。そう生まれついただけの話だ。

 この映画を観て、ニンフォマニアが一本の映画の主題として成立しうる理由を考えていた。たとえば大量殺人を犯したサイコパスも映画の主題足りえる。これは「殺人」という最も取り返しのつかない行為が量的に異常である(大量である)こと、その行為自体に異常性(遺体の装飾や食人)が伴うことがその理由だろうと思う。
 異常な人間性はニンフォマニアだけではない。ではなぜジョーが一本の映画の主人公として成立するのか。たとえばジョーがすれ違う多くの人々のなかにはペドフィリアも登場するが、彼とジョーの違いは何か。

 ペドフィリアは幼児を性的に扱う故に唾棄される。ニンフォマニアは社会的秩序を乱す故に唾棄される。両者の、特にペドフィリアと“女性の”ニンフォマニアの違いの最たる部分は、「後者は唾棄されつつも利用される」という一点であると思う。
 ペドフィリアにペドフィリアであることを推奨する者はいない。徹底的に排除される。女性がニンフォマニアである場合も(本当はニンフォマニアでなくとも単に性的に自主的であるだけでもだが)、彼女は社会的に批難される。そういう女性を罵倒する言葉の多さには目を見張る。
 が、同時に、彼女は男から利用され続ける。性的に自主的である女を罵倒しながら自分に対してだけ性を開けと言う男は多い(『ニンフォマニアック』ではジェロームという男がとても明快にこの人格を示している)。
 罵倒されつつも、そう在ることを世界の半分から推奨される。この他者からの徹底的に利己的なダブルスタンダードにさらされ続けることが、女性のニンフォマニアが他の異常性を持つ人々と決定的に異なる点である。

 ジョーは利口な女性ではないが、自己に対して自覚的である。理性によって欲望をコントロールしないどうしようもない人間であることは否定のしようもないが、彼女の自己への自覚性は欠点を補って余りある美徳だと個人的には思う。
 そして、ジョーの話を聞く(あえて聴くとは書くまい)セリグマンは、演出的過ぎるほどにジョーと対照的な人間である。理性的であり、知的である。しかし内省を知らず自己に無自覚である。

 ジョーは話しセリグマンは話を聞くが、二人の間に対話はない。平行線でさえない。セリグマンはジョーの話を理解できておらず、理解できていないことさえ理解できていないのだから。
 『ニンフォマニアック』は救いのある物語である。「現実をこれほどきちんと認識できているトリアー監督という人物がこの世界に存在する」という事実を知ることができる一点をもって、救いのある物語である。
 『ニンフォマニアック』は悲劇ではない。ユーモアにはあふれるが喜劇でもない。単なる現実の物語である。提示された象徴化された現実に何を思うかが、観客ひとりひとりの人間性を剥き出しにする。ジョーを笑うひとは自分を笑っている。ジョーに欲情するひとは自身が性欲に支配された人間であることを露わにしている。ジョーを蔑むひとは自身の性欲を蔑んでいる。『ニンフォマニアック』を悲劇的と思うひとは現実を幸福な方向に勘違いしているし、『ニンフォマニアック』を喜劇と思うひとは現実の悲劇さを知らない。
2013年 | デンマーク、ドイツ、フランス、ベルギー、イギリス | Vol.1:117分、Vol.2:123分
原題:Nymphomaniac
監督:ラース・フォン・トリアー
キャスト:シャルロット・ゲンズブール(ジョー)、ステラン・スカルスガルド(セリグマン)、ステイシー・マーティン(若いジョー)、シャイア・ラブーフ(ジェローム)、クリスチャン・スレイター(ジョーの父)、ミア・ゴス(P)
≫ eiga.com(Vol.1) (Vol.2)
≫ 公式サイト
2014.11.12