Somewhere
制作:2010 年 アメリカ
監督:ソフィア・コッポラ
キャスト:スティーブン・ドーフ / エル・ファニング / クリス・ポンティアス / ベニチオ・デル・トロ
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離婚した妻から 11 歳になる娘をしばらく預かることになったスター俳優のジョニー・マルコ。自堕落で享楽的なホテル生活が、娘と共に過ごす間だけ特別にきらめく。
私にとってコッポラの映画といえば『ロスト・イン・トランスレーション』。あのとらえどころなく愛おしい時間を過ごせたらいいなあと観に行って、『ロスト・イン・トランスレーション』と似ていながらもまったく違う空気にひたらせてもらった。良い意味で想像の範疇外だった。
適当な遊び、適当なセックス、適当な食事、マネージャーに言われるがままにこなすだけの仕事。日々ただ時間を消費してゆくだけの退屈気なジョニーの生活。それが、クレオが来た時にだけ輝く。
愛する娘クレオとの充実した日々で露呈するのは、目をつぶっていればなあなあで済ませてゆくこともできたろうジョニー自身の空っぽな内側だ。それはジョニーにとって向きあうのがとてもつらい現実だけど、それでも彼は娘の放つ自然で汚れを知らない輝きに照らされて、自分自身をひとつひとつ変え始める。
コッポラの映画が映すのは物語でも人間心理でもなく、生活。この映画には語るべき事件も特別な筋立てもない。父と娘がいて、ただ共に時を過ごすだけ。それでも、情けないジョニーと父の側で軽やかに笑うクレオに、心がじんわりとほぐれてゆく。
クレオの清潔で気持ちのいい可愛らしさがこの映画の雰囲気に清々しい透明感を与えている。クレオといる時、そしてエンディングでだけ見せるジョニーの無邪気でチャーミングな笑顔がまた印象的。
エロいものを淡白に、無垢なものを魅惑的に撮るところはさすが。
退屈なシーンの多い映画だ。オープニングからしてこれ以上ないというほどつまらない。だけど、このオープニングとエンディングがこの作品を象徴している。この映画は、退屈なシーンがあってこそ、なのだ。
私が愛した『ロスト・イン・トランスレーション』から、さらにエピソードや展開といった映画としての「要素」が捨て去られている。より簡潔な構造になっている。なのに、心のなかに残ってゆく言いようのない充足感は、決して目減りしていない。相性の合う合わないはもちろんあるだろうけれど、私にはとても心地のいい映画だった。胸がしめつけられるような切なさを感じても、かたわらには常に変わらぬ優しさがあってくれる。