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『スティル・ライフ』 池澤 夏樹
 この本で初めて知った単語を書き出してみる。

 チェレンコフ光
 ミリバール
 ディプロドクス、アロサウルス
 シャルマント
 ヤー・チャイカ
 オーロラ・ボレアリス
 ヴァン・アレン帯

 「シャルマント」をのぞくと、いずれも化学や天文学などに関する語だ。ごく純粋な文学作品でありながら、私たちが生き、呼吸をし、足を着けているこの世界の仕組みが、自然科学的な視点で作中に組み込まれている。しかもそれらは決して衒学的にではなくて、作品を構築する一要素として、情緒的表現となんら変わりないフラットな地平に存在している。
 この居心地のよさを言葉にするのは難しい。それでも言ってみると、この世にあるものを見るとき、「科学的」であることを「冷徹」と取り「文学的」であることを「ロマンチック」と見なすことには反射的に反駁が浮かんでしまうのだ。科学者たちの情熱が好きなのかもしれない。空が青い理由を知って悲しいとは思わないし、天動説を浪漫だとも思わない。世界が詩篇のようであった世界はもう遠い過去で、今私たちは科学をゆりかごにして生きていると思っている。それは寂しいことではないし、ものごとの理屈を知ることは世界を広げこそすれ想像の世界を狭めることはない。
 世界を解明してきた多くの科学者たちを思う時、私は星を見た時に感じるのと同じ種類の悠久の流れを感じる。知りたい、という一点の熱意でもって生きた科学者の存在を思うと、その成果として生まれてきた数多くの知識に愛しさを覚える。

 私にとっては森博嗣さんの「スカイ・クロラ」シリーズもそうだけれど、科学的描写が作品をより生かす小説に出会うと嬉しさを感じるのは、この当たり前の事実に共感してもらえた気持ちがするからなんだろうと思う。

 そしてこの本は小説であるから、くもった空を「さびれたサーカスの天幕を内側から見るようだった」と表現し、雪の降る話から世界のすべては山の原素が、熱帯雨林の原素が、砂漠には砂や礫や岩が降り積もって出来たのだというイメージが湧いてくる。ロシア人の喋る日本語の発音が酔うにつれ母国語に近くなっていくさまを、「木を削って木賊で磨いたような日本語の子音が、次第に青銅の鋳物のようなロシア語の子音におきかわってゆく」というふうに言い表す。

 私たちは夕焼けを見て美しいと思う。そして夕焼けが赤や橙やピンクである科学的理由を考える。日々はそうやって巡り、それはひとつ残らず生身の私たちに繋がっている。何も不自然ではないし、大仰でも難しくもない。世界には物と現象と人間があり、それらは密接に、というよりも同時に存在し合いながら、時間という中を進んでゆく。
初版:1988 年 2 月 中央公論社
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2012.09.30