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『キノの旅 ―the Beautiful World―』 時雨沢 恵一
 一巻を発売間もなくに買ったのだったか、覚えていない。巻数が多少進んでから手にとったのだったかもしれない。けれど、この一冊だけを何度も読み返した記憶があるから、たぶん二巻が出る前に一巻を買ったのだと思う。そう思いたい、ということでもある。

 小学校四年生の頃に神坂一さんの『スレイヤーズ』を読み、そこから先は高校に入る頃までライトノベル一色の読書生活だった。二百冊くらい読んだかと思う。二百冊で六年を超える日々をまかなったのだから、もちろんどの本も一度や二度ならず再読した。多かれ少なかれ、どの本も読み尽くされた跡の強く残る本に育った。
 そうまでのめり込んだライトノベルの世界から私は抜け出た。きっかけはいくつかあって、ともかくも今の私は六年もの時間をライトノベルだけに捧げてしまったことを後悔している。まったく読む必要がなかった、とは言わないけれど、せめて中学校の半ばが過ぎる頃には卒業していたらよかったと思う。

 ライトノベルを離れ、大幅に蔵書を整理し、最終的に手元に残したのは 15 冊程度の単巻ものと上遠野浩平さんの作品、「キノの旅」シリーズだった。そして今現在新刊が出るたびに発売日からさほど日を置かず読んでいるのは、つまり「まあそのうち読もうか」と言ってほうっておくことができないでいるのは、「キノの旅」シリーズだけである。単純に「他の本よりもずば抜けて面白い」というわけではない。けれど、「読ませずにおかない力がある」ことも確かである。

 ここではない世界で、モトラドと呼ばれる喋る二輪車に乗り国々を旅するキノの物語。滞在期間は三日間という自分で決めたルールを強固に守り、二泊の間に国と、そこに暮らす人々を見る。驚き、喜び、美味しいものを食べ、悲しい思いをし、人を殺し、国と国の間で野営する時には獣も殺し、盗賊に襲われ、人を助け、キノは旅をする。旅という言葉が意味する行動を必要十分にだけ抜き出した、キノはそういう行為をしていると思う。目的地はない。進まなければいけない方向もない。自分の行きたい方向へ、自分の行ける速度で、滞在期間は三日間というたったひとつのルールだけを唯一の道にして、キノはどこへでもどこまででもゆく。

 ここではない世界が舞台なので、私たちの思いもよらない国々が現れる。作者の発想に毎度毎度あきれるようなため息をつかされながら、けれど住んでいるのは人間なので、私たちにはあまりに身近な愚かさや激情や優しさを見ることになる。
 16 巻もの巻数を重ねてなおこのバランスを取り続ける、むしろ巻を追うごとに単純化し機能的になる文章によってますます洗練されてゆくこのシリーズには、たぶんもう完結するまで読み続けてしまうことになるだろうと思わせる安定感がある。だからこそこうやって、今月発売された 16 巻を読み終えたところで沙々雪に記事を書くことを思いついたのでもある。

 ライトノベルの文体はおおむね苦手だ。けれどまあ、時雨沢さんの「キノの旅」に関しては文体というべきほどの文体がないという点において、無駄な力みをせずとも読むことができる。小説を読むというよりは、「キノの旅」というおはなしを読む。
 年に一回という刊行ペースがライトノベルから離れた今の私にはまたありがたく、毎年 10 月が来るたびに、「ああまた『キノ』が出るかな」と思う。来年もきっと同じように新刊が出ることを期待して、出たらばまた 10 月中のうちには読んでしまうだろうと思う。
一巻初版:2000 年 07 月 電撃文庫
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2012.10.27