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『治療者の戦争』 エリザベス・アン・スカボロー
 従軍看護婦としてベトナム戦争に加わったキティ・マカーリー。キティは特別有能でも無能でもないごく一般的な看護婦であったが、患者のひとりとして出会ったベトナム人の老人セから不思議な力をもたらされる。与えられた「人を癒す力」によって、キティは病院内から見ていたのとは違う、さらなるベトナム戦争へと身を投じることになる。

 「戦争」というと太平洋戦争ばかりが思い浮かぶ。ベトナム戦争についてはほとんど知らず、悲惨というイメージが茫漠とあるばかりだ。この小説の作者は実際にベトナム戦争に従軍した看護婦で、作中においてキティが看護するベトナム人患者に関するシーンは、作者の実体験から大幅な脚色なく描写されたものだという。

 病棟は男女ではなく米兵かベトナム人かによってわけられる。別け隔てのない医師もいるが、ベトナム人に対する医療行為のすべては無駄であると断じる者もいる。ベトナム人患者にとって、怪我の治りきらないまま病院の外へ出されることは死を意味する。アメリカ軍の病院以外まっとうな医療行為を受けられる可能性はほとんど存在しないからだ。しかし担当医師が移動によって変われば、充分な治療の受けられないままいつ病院から出されるかもわからない。しかしそれでもキティの看ている患者たちは皆恵まれている。ほとんどのベトナム人は、一切の治療行為を受けることなく各々の村々でただ死んでゆくばかりなのだから。
 病院にいながらにして、キティはベトナム戦争の地獄を感じ取っている。しかしそれはあくまでも基地を囲む有刺鉄線の柵のなかからだ。砲撃の音を聞きながらも、どこか安心感を抱ける場所である。いずれ、物語が進むにつれてキティはジャングルのなかに放り出される。そこから、キティはなんの膜もなしにその素肌をベトナムに曝すことになる。

 非現実的なパワーは登場するが、それはあくまでもこの本を成り立たせるための小道具である。あえてそう言い切ろう。この本は戦場だったベトナムの空気をできる限り生々しく切り取ろうとしている小説だからだ。
 作者によるあとがきのタイトルに「なぜわたしは、必ずしも事実をそのまま語らないのか」とある。事実だけでは表しきれない現実は、事実によって語り得た現実よりも圧倒的に多い。ひとりの人間にとっての事実とはその個人がした体験とほぼイコールで、それを描写するだけでは、その描写がどれほど丹念であっても取りこぼすものが大量にある。
 この問題を解消する方法はいくつかあるだろう。そのなかから、スカボローはフィクションという方法を選んだ。現実にはない事実を作品に取り込むことで主人公はより多くの世界を体験することになり、小説はスカボロー個人の経験を上回るベトナムを見せる。

 この小説が書かれたのは 1988 年である。24 年の歳月の間に、人々の間からベトナム戦争の記憶は薄れている。当時読まれたこの本と今読まれるこの本は、おそらくその存在感をだいぶ変えているだろう。
 しかしそれでも、この小説に綴じられた戦地ベトナムのむごさはその度合いを決して変えない。フィクションで現実を知ることはできない。けれど現実をフィクションとしてまとめ上げることで、現実を象徴し、俯瞰し、整頓することが可能になる。
 私のようなベトナム戦争をまったく知らない人間こそ、読む価値のある一冊だと思う。
原題:The Healer's War
翻訳:友枝 康子
初版:1991 年 12 月 ハヤカワ文庫
2012.12.30