原題:Up in the Air
制作:2009 年 アメリカ
監督:ジェイソン・ライトマン
キャスト:ジョージ・クルーニー / ベラ・ファーミガ / アナ・ケンドリック / ジェイソン・ベイトマン / エイミー・モートン / メラニー・リンスキー / J・K・シモンズ / サム・エリオット
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解雇通知請負会社に勤めるライアンは、全米を飛行機で飛び回っては人々にクビを言い渡す日々。年間 300 日以上を出張に費やし「空港が我が家」とうそぶく彼は、1000 万マイル獲得を目指して飛行機に乗り続ける。
しかし、出張経費削減のためにオンラインで雇用解雇通知を行うシステムを採用すると会社が言い出し――。
ライアンは、誰かを愛したことはない、子供はいらない、家庭も欲しくないとあっさりと、かつきっぱりと言い切る。出張する先々で女性を口説き落としては割り切った関係を楽しみ、自分の選んだ人生に満足し、しがらみも人生の荷物もさっぱりと捨て去った思うがままの生活をしている。
そんな彼の快適な生活が、一回りも年下の 23 歳の小娘ナタリーの発案した解雇通知のオンライン化によってひっくり返されようとする。
ライアンの同類でお互い都合のつく時には情事を楽しむアレックスと、ライアンやアレックスとは対極の考えを持ち常識の範疇で生きるナタリー。三人がそれぞれ絶妙の距離感でからみ合って、互いに少しずつ影響を与えてゆく。
ひとの価値観というのは変わってゆくものだ。劇中でも、我々は泳ぎ続けなければならないサメだとライアンが言うシーンがある。でも、一所に身を置かずあちらこちらを行き来するライアンは確かに決してとどまることのない生活をしているけど、その価値観はどうなのだろう? 絶えず移動を続ける彼の価値観は、果たして変化しているのだろうか。
自分の人生に疑問を持たず出張を繰り返す生活に、本当はライアンは強く固着しているのだ。ライアンは変化を拒んでいる。
そんなライアンに、ナタリーとアレックスが、それぞれまったく正反対の影響を与えてゆく。三人のメインの登場人物は、作中でそれぞれ最初にいる立場も、変化の仕方も、最終的にたどり着く場所も、明確に違っている。
三人のそれぞれの結果を見ると、この映画はライアンのために用意されたものなのだなあ、と思う。登場人物も、出来事も、話の筋もなにもかも、ライアンに変化をもたらすために用意されている。観終えた時、どうしてもライアンのその後に思いを馳せてしまう。彼はあの後、どうするのだろう? 自分のなかに起きた変化をうやむやにしてしまうだろうか、それとも変化を受け入れて生きてゆくだろうか。
軽妙なテンポとわかりやすくもリアリティの備わった人物造形で素直に楽しめる映画だった。その上細かなシーンや数秒だけの登場人物、シーンごとのカメラワークにまでストーリーに対する意味を持たせてあって、思い返せば思い返すほど面白い。現実の要素のどこを拾い上げどこを切り捨て物語の世界を構築するかが巧みで、どういう切り口で見ても思わず唸ってしまう。構成が巧すぎることが難と言えば難だけれど、それをカバーしてあまりある魅力に溢れている。
価値観が変わった後になって以前の価値観の時に欲していたものが手に入る、という構図が印象的だった。