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『夜間飛行』 サン=テグジュペリ
「夜間飛行」、「南方郵便機」の二篇が収録されている。

 扉を含めて全 110 ページの「夜間飛行」は必要な描写だけで表された珠玉の短篇であると思う。
 主人公リヴィエールは航空輸送会社の支配人である。アフリカを経由して南アメリカとヨーロッパを繋ぐ航空路の要をになっている。ブエノス・アイレスの事務所に詰め、すべての事務員を率い、すべての操縦士をコントロールする。

 陸路・海路に対して確固たる優位を得るために夜間にも輸送を行う会社にあって、リヴィエールは操縦士たちを闇へと飛び立たせる。闇は、小山ひとつ、樹木の一本を強大な障害物に変える。自分の指先すら見えない闇のなかで襲い来る突風、颶風は、操縦士に恐れをなさせる。それは死への恐怖だ。自分がこの世から去ることへの誤魔化しのきかない恐怖だ。
 操縦士は闇を恐れ、離陸をためらう。が、リヴィエールはその恐怖を考慮しない。リヴィエールを動かすのはただ自分で得た独自の信念であり、それ以外の何ものもリヴィエールを動かさない。

 「部下の者を愛したまえ。ただそれと彼らに知らさずに愛したまえ」「愛されようとするには、同情さえしたらいいのだ。ところが僕は決して同情はしない。いや、しないわけではないが、外面に現さない」
 リヴィエールが持つのはこういった厳格さである。いかなるミスも間違いなく裁き、感情による酌量は一切ない。事務所に一歩踏み入るだけで事務員たちの空気を引き締め、一丸となって航空輸送を完了させることに尽力させる。
 リヴィエールに正しさや間違いという尺度はない。自らの持つ世界を強固に突き進んでゆくだけだ。迷い、ためらい、思考などがないわけではない。しかしその間もリヴィエールは決して立ち止まることはない。

 この短篇においては、ブエノス・アイレスにあるリヴィエールと、南アメリカ南端からブエノス・アイレスを目指す操縦士ファビアンが交互に描かれる。目指す者、目指される地で、それぞれに闇と天候に対する攻防が行われる。ファビアンの往く空には颶風があり、前後左右上下、どこにもファビアンの往くべき道はない。しかしそれでもファビアンはブエノス・アイレスを目指す。リヴィエールはファビアン機の到着を待つ。
 ふたりの間につながりや絆はない。そんな情緒的甘やかさは存在しない。それぞれに自分の往くべき道を知っており、最短でその道を往こうとしているだけだ。その歯車が、見事なほどに噛み合う。噛み合い、闇に踊らされながら空を踏みしめ夜に飛行機を飛ばしている。

 「夜間飛行」よりも長めの短篇、サン=テグジュペリの処女作である「南方郵便機」においては、共に操縦士となった幼馴染ふたりと彼らがかつて焦がれた女性ジュヌヴィエーヴが登場する。サハラ砂漠にあるカップ・ジュビーの監視所にいる「僕」の目線から、幼馴染ベルニスともはや人妻となったジュヌヴィエーヴの恋行きが語られる。
 「夜間飛行」からは一転してロマンチシズムにあふれた一篇だけれど、そのロマンチシズムは夢のようにうまくはいかない。

 幼い我が子を亡くし、逃避的な性格から妻に八つ当たりする夫に疲れ、ジュヌヴィエーヴはベルニスに「あたしを連れ出して下さいな!」と懇願する。そしてふたりはふたりだけの新たな生活にその足を踏み入れようとする。
 が、ふたりの間には隔たりがあるのである。その隔たりは踏みしめられた地面のような硬く変え得ない現実で、彼らはその深い割れ目を超えることができない。ベルニスがジュヌヴィエーヴの元へはい上がることも、ジュヌヴィエーヴがベルニスのもとへ下ることもできない。ロマンチシズムは現実を知って我に返り、そして自分が現実には何の役にも立たないことを理解する。
 現実に敗北し、従順になった人間の悲しい姿がここにはある。

 二篇を通して、堀口大學さんによる詩的な言葉選びの訳文が涙を誘われるほどに美しい。そしてもちろん、その美しさの源泉はサン=テグジュペリの綴った文章である。
 自身も飛行機の操縦士であったサン=テグジュペリは、第二次世界大戦中にナチス戦闘機に撃墜されたという。こんなにも美しい小説を描く作家が一敵機として撃ち落される、個が個でなく数字になる戦争というものの理不尽さにまで思いが及んだ。
原題:Vol de Nuit
翻訳:堀口 大學
初版:1956 年 2 月 新潮文庫
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2013.01.19