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『藁の楯 わらのたて』
 洋画ばかり観ている。そもそも映画の入り口が洋画であって、環境も影響して洋画ばかりを観るようになった。それでもたまには邦画も観るし、そしてさらにそのなかに、たまらなくなるような一本が現れる。
 これはそういう一作だった。

 女児を連れ去り性的暴行を加えた上殺害したとして、清丸国秀に指名手配がかけられた。清丸は過去にも女児殺害で実刑判決を受けており、仮出所からたった数ヶ月後の今回の犯行だった。
 殺害された女児の祖父、経済界の大物・蜷川は、全国紙の全面広告に清丸殺害依頼を掲載する。
「この男を殺して下さい。名前・清丸国秀。お礼として 10 億円お支払いします。」
 かくまわれていた協力者から殺されそうになり福岡の警察署に出頭した清丸を警視庁まで輸送するため、極めて異例の事態として、警視庁の SP ふたりが清丸の「楯」として警護につくことになった。銘苅と白岩のふたりは、十億のために清丸殺害を狙い、目論む民間人、そして警察官、すべての周囲の人間から清丸を守るため、福岡へ飛んだ。

 上映途中何度か席を立ちたいと思った。物理的なグロテスクさや残酷描写には慣れている。しかし、人間の内面の醜さ、とくに毎日当たり前に見かけるような「普通」の人間がむき出す内面の醜悪さには耐え難い苦しさを感じる。しかもその醜悪さが「弱さ」や「愛情」から来ているとなっては、もう逃げ場がない。

 清丸は次々に命を狙われる。その清丸を殺そうとする人々の多くが、金銭的に追い詰められ、失いたくない家族が危機に瀕し、進退窮まって我が身を犠牲に金を手に入れようとしている。
 金があるということは余裕だ。多少なりと余裕があれば、なにも好きこのんで人間を殺そうだなどと思う人間は少ない。しかし、追い詰められれば人間の視野は狭まり、たった一本の光明を必死にたぐり寄せる思いでいかなる行為にも手を染める。

 孫娘を殺された蜷川は、金で人々を手中に入れようとする。それは目を背けたくなるくらい有効な手段で、多くの人間が金に踊り蜷川の駒になる。

 清丸を最も殺しやすいのは、最も清丸の近くにいる人間だ。つまり、銘苅、白岩、他三人の警護員たち。それぞれに殺意はある。金のためでもあろうし、清丸という人間性のかけらも感じられない、芯から醜悪な暴行殺人犯への本能的嫌悪感からでもあろう。

 だが、彼らは清丸を守る。唾棄しながら、嫌悪しながら、「クズ」の命を守る自分自身を疑いながら、それでもかたくなに清丸の警護を続ける。
 なぜだろうか、と考える。疑問には、ただ「誇り」のためという答えしかない。

 清丸国秀という人道を外れた人間はあくまでケモノとして描かれ、映画の上では舞台装置のひとつに過ぎない。この映画で描かれるのは、金で人を釣る行為と人が自分自身に負う誇りの対決だ。
 どちらにも間違いはあり、正しさもある。誰もが醜悪さを持ち、自分の正しさを求め信じようとするエゴがある。答えはない。どこにもないし、未来永劫絶対に出ない。
 しかし、答えの有無など関係なく、選択なしに人は生きてゆくことはできない。すべての人の選択の上に、この映画は決着する。
2013 年 | 日本 | 124 分
監督:三池 崇史
キャスト:大沢 たかお、松嶋 菜々子、岸谷 五朗、伊武 雅刀、永山 絢斗、余 貴美子、藤原 竜也、山崎 努
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2013.05.06