メモ
2012.09.10
 数少ない大好きな俳優である藤原竜也さんと松田龍平さんが出ているとあって喜び勇んで観てきた『I'M FLASH!』。
 藤原竜也が車ぶっ飛ばして海に潜って松田龍平がチャカ撃ちまくる映画、と要約したら叱られるだろうか。

 つまらなかった。すごくつまらなかった。でも嫌いじゃない。たぶんそれは、ものすごく失敗してるんだけど、面白い映画撮りたかったんだろうなァ、ってふうに、なんとなく思えてしまう映画だったから。
2012.08.21
 『THE GREY 凍える太陽』を観た。おしいところがいくつかあって、でもおしいとかそんな矮小なものの見方なんて霞ほどにも意味をなさない世界だった。
 パンフレットを買った。私がパンフレットを買うってのはその作品のよしあしとはさほどには関連がなくて、上映時間のうちに作品を受け入れるにはあまりに脳が小さすぎる時に、考え込むよすがにするために買う。

 『おおかみこどもの雨と雪』が公開されたのと同じ夏にこの映画が出てきた。こういう偶然の合致が価値を深めてくれる。何を、かはわからないけれど。
2012.08.19
 もうとにかく面白くって楽しくってその面白さにぐいぐい引っ張られてひたすら読み漁ってるのだけど、ひとつ、「議論は、よほど重大な場面でなければしない。議論に勝ったところで人間は自分の生き方や考えを変えるものではなく、恨みを残すだけだからだ。」という竜馬の考えがその部分を読み終えてもずっと頭に残っている。
 話し合いを良いものとし議論吹っかけ好きの私にとっては目からうろこの論。そうだなあ、と思わず頷いてしまった。私には相手を負かそう、納得させようとする悪癖がある。控えよう。するなら相手を理解するための話し合いで、自分を相手に理解させるための論を張るのはよそう。
2012.07.29
 二度観てみて、「こりゃねえな」、という結論に至ってしまった。さみしい。『サマーウォーズ』には熱狂させてもらったので、そういう作品を作ってくれた監督の映画を楽しめないのは寂しい。

 物語を語るにはいくつかの媒体があり(アニメ、小説、実写、漫画等々)、それらにはそれぞれの文脈がある。テレビアニメに対して「どうしてどのキャラクターもいつも同じ服なの?」とか訊いても仕方がないし、ゴールデンタイムの時代劇に「どうして刀で切られたのに血が出ないの?」と言っても仕方がない。

 『おおかみこどもの雨と雪』について、花の雨に対する態度ないわーとか雪ほったらかされ過ぎで空気だわーとかそういう物語に対する感想もなくはないんだけど、それ以前に、「アニメの文脈を引用しつつ現実的な感情を描こうとする」ところに無理を感じてしまう。
 死とか生きるために食べるものを育てるとか子供が育つということとかそういう比較的生々しいことを描いておきながら、授乳中の女性の乳首が真っピンクだったり子供ふたりを軽々と抱え上げる描写だったり(三歳児と二歳児ふたりを女ひとりで抱えるって凄まじい重労働)、人間からおおかみになるとどうして服が肩にかかる状態になるのかとか上下つなぎの服着て人間からおおかみになった時しっぽが外に出てるけど穴が開いてるのかとか、そういうことはすべて「アニメの文脈」で無視することになっている。
 こういうのを観せられると「それはずるいよ」と思ってしまう。現実じみたものを描くならアニメの文脈を引用するのは諦めようよ、と。このギャップが物語を語る前提条件をちぐはぐにして、作品を観ていて落ち着かない気分にさせられてしまう。
2012.06.03
ジェレミー・レナーが出てるからって観た『スタンドアップ』は純粋にいい映画だった。もちっとちゃんと観ればよかった。あとジェレミー・レナーほんとこういう役似合うな