メモ
2008.12.29
 それぞれ10日と12日に読了した「指揮官たちの特攻 ―幸福は花びらのごとく―」と「戦争で死ぬ、ということ」の感想メモを書いていないままだったので、今更ながら少しだけ書き残しておこうと思います。

 「指揮官たちの特攻」は、表紙の関行男大尉と中津留達雄大尉のふたりを中心として、戦時中におこなわれた特攻についてを書き上げたドキュメントノベル。丁寧な取材に加えて城山さんご自身の体験や当時見聞きしたものも書かれていて、薄めの本ながら得られるものは多い。特攻という名前だけしか知らず実態を知らない人には(私自身もそのひとりだ)ぜひ手にとってみてもらいたい。
 感情的になり過ぎず、かといって特攻という事実を突き放して見るのではなく、命を散らした青年たちを包み込むように見つめる北山さんの視点はとても温かく、同時に悲しみに満ちている。声高に反戦を叫ばれるよりもしみじみと胸にしみる。

 そして、戦争というつながりで読んだのが「戦争で死ぬ、ということ」。著者が女性だからなのか、全体的に感情に訴える文章になっているのが読みにくくて仕方なかった。著者の意見や思想と、著者が取材した人々や資料が伝える事実を選り分けながら読み進めた。
 反戦という想いを読者と共有したいなら、「戦争はいけない」と繰り返し叫ぶよりも、ただ事実を伝える方が説得力を持つものだと思っている。

 「戦争は悲惨である」。それは知っている。けれど、悲惨さを強調し続けることに意味があるとは思っていない。そこで思考を停止させてしまったらこれから起こる戦争を防ぐことはできない。今起こっている戦争を止める手立てを模索することもできない。
 著者である島本さんも「過去の事実のなかに、未来を開く鍵がある」と語っているけれど、それをこの本のなかでどれだけ実践できたのかはわからない。
 同じ新書なら、伊勢崎賢治さんの「武装解除」をすすめたい。
2008.12.26
 「チョコレート・アンダーグラウンド」がアニメ映画化!(公式サイト

 「本好きさんに50冊の質問」で、「Q06. 映像化して欲しい本は?」という項目に「チョコレート・アンダーグラウンド」を挙げたのがちょうど一年前。まさか、本当に映像化されるとは! 今日知ったんですが、ものすごくびっくりしてうれしくなりました。
 日本で、しかもアニメ化で来るとは思っていなかったけど、海外でアニメ化されるよりは信頼できるかも、なんて思ってます。アニメはやっぱり、日本のが一番きれいだしうまいと思う。
 わりとオリジナルの設定やストーリーも入るみたいですが、楽しみにしてようと思います。2009年1月31日ロードショーだそう。素敵な仕上がりになってるといいなあ。

 「本好きさんに50冊の質問」もずっとほったらかしなので、いい加減ちゃんと回答しなきゃと思ってます。
 「今年のことは今年のうちに」と今までほったらかしだったことにいろいろ手をつけていて、そのしわ寄せが読書時間に行っていてちっとも「日本人の法意識」が進みません。それでも、どうにも時間が足りそうになく来年に持ち越しになりそうな作業がちらほら…。
 しばらくはスローペース読書になりそうです。
2008.12.19
 推薦に、いろいろと本をおすすめいただいてありがとうございます。お時間はいただいてしまうと思いますが、順番に大切に読ませていただきますね。
 自分からはなかなか海外の本に手が伸びないので、今回おすすめいただいたのが不思議とすべて海外のものでちょっとうれしいです。

 今は、「日本人の法意識」という本を読んでいます。40年前の本だからかそれとも専門的な本だからなのか、少し読みにくい文章なんですが、ゆっくりと読み進めています。
2008.12.16
 12日に読了した「春琴抄」は、12日の夜に「どうしても今日中に一冊本を読了したい」と思い本棚の未読本をながめてみて、その薄く頼りなさすら感じるような佇まいに惹かれて「『国のない男』を読まなきゃ」と思いつつ読み始めてしまったものでした。

 谷崎の小説はいつでも私にとって魅力的だけど、70ページのなかに谷崎のエッセンスが凝縮されたようなこの小説は読んでいてとても心地よかった。

 美しいが驕慢な春琴と、盲目の彼女に付き従う佐助。2つの遭難によって曲がっていった春琴の生涯をえがいた小説。2つめの遭難によって変質した春琴と佐助の様が、悲しくて美しい。

 谷崎の作品には倒錯した人間、とくに被虐心の強い人間が多く登場する。私は谷崎作品はそれほど読んでいないけど、被虐心の純度の高さは佐助が一番のような気がする。
 マゾヒストが痛みや虐げられることを求めるのはそれに快感を感じるからだけど、佐助はきっとそこを意識していない。ただ、春琴に奉仕することが自然なことだと感じるからそうしているだけなんだろう。
 そして、その自分の「奉仕していたい」という欲求のためには春琴の弱さや寂しさを認めてやらない。無自覚な欲には果てがない。これはいつも考えていることだけど、マゾヒストは傲慢な人が多いと思う。

 佐助にとって、春琴の価値は彼女が主人であるというところにあったのだろう。
 春琴が弱々しく自分を求めたり対等な者として自分を愛したりすれば、それは佐助にとっての春琴の喪失を意味する。だから、ふたりの距離は佐助の欲のために永遠に近づかない。佐助にとって、春琴は遠いところにいる女でなければならない。

 自分が女だからかもしれないけれど、私は春琴の心情を想像してしまう。
 差し伸べられる前から退け続けた手を、2つめの遭難によって心寂しくなり求めるようになったときに、「あなたは私の主人で居て下さい」と言外に強く匂わせる佐助に気がつく。佐助は女としての自分を求めていると思い続けていたのに(“人間としての”と言ってもいい)、主人としての自分しか見ていないことに思い至ったときの春琴の心のうちはどんなだっただろう。
 差し伸べられ続けていると信じていた手は、一度として春琴を女として求めていたことなどなかった。ひとりの女になりたいと思ったとき、それを許されないのはどれほどのつらさだろう。

 けれどそれでも、主従の関係、師匠と弟子の立場を生涯貫き通したふたりという春琴と佐助の構図はどこまでも美しい。その美しさが、春琴の悲しさを助長する。佐助の独りよがりな奉仕が崇高に見えてくる。

 舞台化・映画化が多くされているのが納得できる。たしかにこれは、“自分で表現してみたい”と思わせる小説だと思う。
2008.12.15
 13日の夜、時間がなくて読了本の感想が書けないと言いつつ、夜ふかしをして「国のない男」を読了してしまいました。

 ユーモアと皮肉のバランスが抜群の文は読んでいてするすると身のうちに入ってくる。読み流すのではなく、熟読しながらも先へ先へと目が追ってしまう。

 吹き出すように笑ってしまう言い回しがたくさんあるなかで、はっとさせられたり胸が痛くなったりすることもおなじくらい多かった。
 戦争や環境問題、ほかにもこの地球で起こっているさまざまなリアルタイムなトラブルについて言及されている。そしてそこから、アメリカという国や人間のおろかさへの失望がくっきりと浮かび上がっている。

 ヴォネガットは楽観視したり手軽な希望をちらつかせたりしない。現実に起こったことだけを述べている。その姿勢は一貫している。今の人間たちに対してとても厳しい。そして、とても優しい。

 個人的に、人を怒るのは優しい人だと思っている。私はあまり優しくないので、他人が気に障ることをしても間違ったことをしていても、勝手にしていればいいと思って怒ってあげることがほとんどない。よほど身近な人に対してだけだ。
 ヴォネガットが優しいと思う理由はこれだ。ヴォネガットの皮肉が痛烈なのは、それだけ人間を近くに感じているからなのだと思う。それはなにより、カバーそでに抜粋されている「百年後、人類がまだ笑っていたら、わたしはきっとうれしいと思う。」ということばに表れている。ヴォネガットは百年前の地球も百年後の人類も、そしてどんな場所にいる人も、今ここにいる自分とおなじようにとらえている。

 私はヴォネガットの本を読んだのはこれが初めてだけれど、きっとヴォネガットはその生涯を通じて考え続け、それを書き、本というかたちにして私たちに残してくれたのだと思う。できることを精一杯のちからでやり抜いたのではないかと思う。
 では、次に私たちは何をすればいいだろう。たった一冊の本からでも、私がヴォネガットから受け取ったものは大きい。それだけのものを遺してくれたヴォネガットに恥じずに向き合うために何をすればいいだろう。
 ヴォネガットは、後世の人々に未来を託すだなんてことは絶対に言わないだろう。手軽できれいな希望には手を出さない人だと思う。だからこそ、今これから生きていく私たちは精一杯のことをしなければならない。期待に報いるためではなく、期待という重荷を背負わせない優しさを持った人に報いるために。