「斜陽」を読了しました。
太宰治と谷崎潤一郎の作品は何冊か買い込んでいて、そのうちの一冊です。この二人は今のうちに読んでおかないと数年後には読む気にならなさそうだなあ、と思って買い込んだのですが、一年以上積読していたあいだに読むタイミングを若干逃してしまった気がします。もっと早く読んでおけばよかった。
ときおり、はっとすることばやせりふが出てきます。主人公の弟である直治が終盤になって書いた手記に、一番心が動きました。
一昨日から読んでいた「トポロシャドゥの喪失証明」、読み終わりました。
上遠野作品はほぼすべて読みつくしているのですが、いつでも一作ごとにテーマがあって、それを感じながら我が身に重ねてみながらの読書になります。とても独特の世界で、いい本だとか面白い本だとかひとくちで言ってしまう気にはとてもなれませんが、なんとなく離れがたい作家です。
「ブギーポップ」シリーズの最新作をまだ読んでいないので、そちらもそのうち読もうと思います。
さて、そして推薦にて「ノスタルギガンテス」をおすすめいただき、ありがとうございます。知らないタイトルに、知らない作家です。先におすすめいただいている本があるのでそちらを読了してからになりますが、楽しみに読ませていただきますね。
外出が続いたりで思っていたよりも時間がかかってしまいましたが、おすすめいただいていた「有頂天家族」、読み終わりました。
舞台は京都、主人公は狸四兄弟の三男・矢三郎。とりまくのは敵対する叔父や従兄弟、師匠である天狗や、元人間で現半天狗の美女・弁天。なんとも面白い設定のなか、狸と天狗と人間が入り乱れてのてんやわんやの物語。とても楽しみながら読みました。
ただ、単純な面白さとは別にとても興味深かったのが狸たち、あるいは語り部である矢三郎の持つ人生観。
「有頂天家族」の世界で、狸たちをおびやかすものは交通事故と「金曜倶楽部」。「金曜倶楽部」というのは人間七人の集まりで、彼らは毎年忘年会で狸鍋を食べることから狸界からとても恐れられている。けれど狸たちは、恐れると同時に、鍋にされて食べられることをごく当然のこととして受け止めている。狸が鍋になって食べられるのは、別におかしなことじゃないという。
「有頂天家族」の面白さは狸や天狗たちのあまりの人間くささだと思うのだけど、この「食べられるのは仕方ない」という感覚だけは、人間には持ち得ないものだ。その狸独特の感覚が一番よく描き出されていたのが、第五章だと思う。私はこの章を、とても不思議な感慨深さで読んでいた。
人間が食物連鎖の頂点にいる、ということが、狸の目線から語られる。人間として読んでいる私はそれに、まったくその通り、とうなずくしかない。そんなことはない、と言おうとしても、それなら狸鍋なんか食べなきゃいいじゃないか、と呆れた顔で言い返されるだけだろう。
作中には、狸はとてもかわいらしい、かわいいからこそ、愛しているからこそ食べちゃいたいのだ、と独自の理論を展開する人間がひとり登場する。彼の行動はたくさんの矛盾だらけで詭弁だなんだと周りからは非難ごうごうだけど、でも、真理だなあ、と思う。
狸と天狗と人間が、三者三様に入り乱れる京都という街。それぞれがそれぞれに愛らしさと憎らしさを持っていて、生きているものって結局は、こうやって絡まりながら転がりながら、進んでいくんだよなあと思ってしまいました。
おすすめ、ありがとうございました。
さて、次におすすめいただいている「日野啓三自選エッセイ集」ですが、いつも利用しているオンライン書店からまだ入荷のお知らせが届きません。
申し訳ないのですが、読み始めるのはもう少し先になってしまいそうです。
「女王の百年密室」を読了しました。
私は森さんの小説はほかに「スカイ・クロラ」シリーズしか読んだことがないけれど、この人の描く主人公は、いつもとても混乱している、と思う。複雑というのとはちがう。複雑というと、それは外側からだれかを見たときの評価だ。森さんの描く主人公は、彼もしくは彼女自身が、とても混乱している。
読者から見れば主人公は他者なのに、なぜか読者は(少なくとも私は)主人公と同じ視点で主人公を見ている。もちろん一人称で書かれているということも、大きく、かつ直接的に影響しているとは思う。けれど、一人称の小説なんて他にいくらでもある。人称の問題ではなく、昨日も言ったように、森さんが感覚を重視して描写しているからこその現象なのだと思う。
私は森さんの描く主人公が、いつも大好きだ。主人公が好意を抱いている相手も、大抵好きになる。
森さんはとてもライトな小説を書く作家だと思っているのだけれど、それはストーリーが、ではない。主人公の持っている感覚がライトだから、そんな印象を小説からも受けるのだと思う。
特に、主人公の生に対する感覚はいつもとても軽くて、その執着のなさや束縛のなさに、憧れのような感覚まで生まれてくる。こんな風にいられたらいいのに、と思う。
「女王の百年密室」に関しても、私はやっぱり主人公のサエバ・ミチルが大好きだ。ミチルが迷い込んだ、あるいは導かれた街は、完璧ということばがふさわしいほど統率された世界だ。神の箱庭のような世界。そこに私たちとおなじ感覚を持ったミチルが入り込むと、明確に色のちがう異分子になる。
人を殺すことは罪だ。罪は罰されなければならない。
たったこれだけの、あまりにも常識的なミチルの主張すら、街の人々には通じない。ミチルと街の考え方は、正面から対立する。しかし、街はそんなミチルを強制的に排除もしない。なぜならそれもまた、罪や罰という概念がないからだ。
女王や街の人々と、ミチルのやりとり。これらの会話はさまざまな正しさや歪みを内包していて、決して正解も終わりもない。だからこそミチルはこれからも苦悩するだろうし、そして、そうでなければそれは生でないとも思う。例え、体だけは生き続けていくとしても。
とても読みやすくて、でも読み終えても世界からは抜け出せない、面白い読書でした。おすすめ、ありがとうございました。
「女王の百年密室」を着々と読み進めています。残りは、4分の1強。森さんの文章は、やっぱりとても読みやすいです。
ただ、森さんの小説は感情や情景ではなく感覚を表現している小説だと思うので、とても影響を受けやすいです。ぐらぐらと脳が揺れているような感覚を覚えながら、読んでいます。
今、沙々雪の改築作業を進めています。
私書庫(すべての読了本を一覧にしてまとめておくためのブログ)と沙々雪の住み分け方をずっと考えていたのですが、ようやく決着がつきそうです。それに合わせて、沙々雪・私書庫共に色々と変えなければいけないところがたくさん。いつ終わるかはわかりませんが、作業が済むまで私書庫へのリンクは切ってあります。
最終的には感想は全部沙々雪にまとめて、私書庫は本のタイトルがずらっと並ぶだけのデータベース扱いにする予定。そのぶん沙々雪で、簡単に各本の感想にアクセスできる環境にしたいなと考えています。
先は長いけれど今年は時間に余裕があるつもりでいるので、のんびりやっていきます。