本 > その他
『荒野へ』 ジョン・クラカワー
 クリス・マッカンドレスというひとりのアメリカ人青年がアラスカの荒野にひとりで踏み入り、命を落とした。1992 年にそういうことがあった。この本を著したジョン・クラカワーは登山家でもあり、自身もアラスカの山で命を危うくした経験を持つ。その実体験を絡めながら、クリスの足跡を、そして彼の思考・思想を追おうと試みる。

 2008 年に観た映画『イントゥ・ザ・ワイルド』は私にとってとても大きな作品だ。今まで観てきたなかでもっとも愛している映画だと言ってもいいかもしれない。その原作をようやく読んだ。
 映画の原作となると、どうしても映画と違う部分はどこかという読み方をしてしまう。原作本は、映画よりも普遍的な「なぜ青年は荒野へ惹きつけられるのか?」というテーマを感じられる作品だった。『イントゥ・ザ・ワイルド』がクリス・マッカンドレスという青年に焦点を絞っていたのに対し、『荒野へ』では著者であるジョン・クラカワーのエピソードを含む他の冒険者たちの話も随所に入り込んでいる。映画はクリスの旅の行程を追うことに集中し、学生時代以前の彼の細かい描写や事件後の周囲の人々についてはほとんどまったく触れていないが、『荒野へ』ではその部分もインタビューなどを交えて書かれている。映画化された部分はこの本の最初の三分の一でほぼ書かれてしまっているほどだ。
 さらに、クラカワーの体験がクリス・マッカンドレスと対比され、あるいは追想される。この本はひとりの男がひとりの青年の姿を描写するだけのものでなく、男が青年のなかに自分自身を見、向きあう一冊でもあるのだ。読み手の誰よりも、クラカワーがクリスの心に寄り添っている。

 あえて厳しい環境に身を置き、“土地が与えてくれるものだけを食べて生き”ようと試みる。それは自らの命を落としかねない無謀な冒険だし、クラカワー自身が「自分は生き残り、マッカンドレスは死んだが、それはほとんど偶然でしかない」と語る。
 だが、彼らには決して自殺企図があったのではない。好奇心と言うのが近いのかもしれないと思うが、それもきっと正しくはない。自分で測らねば世界を生きていると思えないのが、彼らのような人々の特徴なのかもしれないと、少しだけ思う。

 彼とすれ違ったどの大人もが北の荒野へと行こうとする彼を引き止める。それは、言ってしまえば「大人になれ」ということだ。「程々を、限度を、常識を知れ」ということだ。彼らの忠告はクリスを押さえつけようと意図したものではない。彼らがクリスに諭すのはこの世界で安全に生きてゆくためのとても重要なキーワードだ。誰もが年を経るうちにその方法を見につけ、社会という枠のなかに自分の置き場所を見つけ出す。
 しかしクリスは彼らを顧みなかった。旅の途中で出会った人々を愛しながら、その全員を振りきって荒野へと踏み出していった。そうせねば彼は自分を生きることができなかったのだろうと思う。
 そして、彼は自分で踏み込んだその足で死んでいった。無謀な旅で命を落としたクリスは愚かな青年だったかもしれない。多くのひとがそう語る。けれど、彼のこの行為を「馬鹿げている」の一言で済ませてしまうのは、あまりに侘しい人生だとも思うのだ。荒野へ行かなければ青年は死ななかった。けれど、きっと彼はああせねば生きられない人だったのだろうとも思う。
 ただ、行くのならば生きて戻って来てくれていればと、それだけがひたすら胸に渦巻いてやまない。本文中で、彼と会った誰もが彼を惜しむ言葉を吐き出す。それを読むにつけ、そうしなければならなかったのだろうと想像できる彼の行動に、「それでも他の道はなかったのか」という問いかけが消えない。

関連エントリー
映画化作品:『イントゥ・ザ・ワイルド』
Into the Wild
翻訳:佐宗 鈴夫
初版:1997 年 4 月 集英社
>> Amazon.co.jp(集英社文庫)
2012.01.09