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『名画を見る眼』 高階 秀爾
 とても有用な本に出会った。あとがきまで含めて 190 ページで、15 の西洋絵画について一作につき十数ページずつを使って解説している。まずはその 15 作品の題名を挙げる。

 ファン・アイク「アルノルフィニ夫妻の肖像」(1434 年)
 ボッティチェルリ「春」(1478 年)
 レオナルド「聖アンナと聖母子」(1508 年)
 ラファエルロ「小椅子の聖母」(1515 年)
 デューラー「メレンコリア・I」(1514 年)
 ベラスケス「宮廷の侍女たち」(1656 年)
 レンブラント「フローラ」(1657 年)
 プーサン「サビニの女たちの掠奪」(1637 年)
 フェルメール「画家のアトリエ」(1666 年)
 ワトー「愛の島の巡礼」(1717 年)
 ゴヤ「裸体のマハ」(1801 年)
 ドラクロワ「アルジェの女たち」(1834 年)
 ターナー「国会議事堂の火災」(1835 年)
 クールベ「アトリエ」(1855 年)
 マネ「オランピア」(1863 年)

 どれも有名な画家かつ作品で、それほど美術作品に関心のないひとでも聞いたことのある名前、図録などで目にしたことのある作品がいくつかあると思う。

 元来私は作品に対する「解説」というものは感覚的に受けつけられない。作品というのはその存在がすべてであって、それに触れた時に自分が受け取るものだけが真実であり、それを他人に「こうだ」と指摘されるものだとはどうしても思えないからだ。例えば文庫本の巻末にある解説を読んで「なるほど」と思ったことは驚くほど少ない。むしろその退屈さや作品を断じる傲慢さに眉をしかめてしまうことの方が断然多い。

 けれど、こと絵画ついて、美術館へ足を運んで実際に絵に対峙するとどうしたものやら途方に暮れてしまう時がある。一番わかりやすい例はキリスト教関連の宗教画だ。キリスト教の世界には定められたモティーフが数多く存在し、キリスト教に親しんだ経験のない私は完全にお手上げ状態になってしまう。
 色やタッチや精巧さに目を留めるだけならいい。けれどそれでは、どうしてもその絵そのものを理解することはできない。はがゆくてたまらない。

 その、知識のなさゆえのはがゆさをひもといてくれるのがこの本だった。一枚一枚の絵について歴史的背景や画家の来歴、画面に描かれたモティーフの意味、公開以来人々が行なってきた解釈等々。
 たった十数ページながら、絵画鑑賞の初心者にとっては十分な手助けとなる知識を読みやすくわかりやすく書いてくれてある。驚きながら、感心しながら、楽しんで読むことができた。

 あとがきから著者の言葉を引用する。

もちろん、絵というものは、別に何の理屈をつけなくても、ただ眺めて楽しければそれでよいという見方もある。それはそれで大変結構なことに違いないが、しかし私は自分の経験から言って、先輩の導きや先人たちの研究に教えられて、同じ絵を見てもそれまで見えなかったものが忽然として見えて来るようになり、眼を洗われる思いをしたことが何度もある。

 まさにこの体験を、著者は読者へ提供してくれる。美術館へ足を運び絵画を鑑賞するすべてのアマチュア鑑賞家たちにとって、非常に有益な本だと思う。この本は「絵」という暗号の解読コードを与えてくれる。
 『続 名画を見る眼』という続巻もあるようなのでこちらも読みたい。
初版:1969 年 10 月 岩波新書
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2012.10.07