石川直樹さんという探検家のエッセイ集。今年 6 月に開催されたブックカーニバル in カマクラ 2013 の一箱古本市で「どんぐりと駄々猫」さんで購入した。当時書いたブックカーニバルの感想で「タイトルにガンとやられてしまって、ろくすっぽ中身も見ないまま買ってしまった。でも、いい本との出会いなんてそんなものだとも思う。」と書いていた。
読了してみて、再度まったく同じことを思う。「全ての装備を知恵に置き換える」とは、何も持たず身一つで立つということ。究極の理想をこんなに端的に表現したタイトルに惹かれないわけがない。読む前から「いい本」と言い切っているのもこのタイトルあってだ。
著者の石川直樹さんは 22 歳で Pole to Pole という企画に参加し、北極から南極までを人力で縦断した。翌年 23 歳でチョモランマ登頂に成功している。これは当時の最年少記録を塗り替える登頂だったそうだ。
石川さんは探検家であり、写真家でもある。この本の表紙写真も石川さんによるものだし、本文にもたくさんの写真が収められている。石川さんがその足で立ったその場所でしか見られない景色、もの、人を撮った写真だ。白黒印刷だけれど、どれもじっと見入ってしまう魅力的に満ちている。
50 篇に近いエッセイの文体は清明で読みやすく、かつ上滑りもしていない。自分の足を一歩一歩踏み出すことでどこへでも行くことができると自分の体で知っている人の文章はこんな風なのかと、その懐の深さと居心地のよさにいつまでも読んでいたくなる。読了してもこの文章から離れがたく、何度もページをめくり返した。
石川さんのフィールドは広い。山も海も街も行く。エッセイは「海」「山」「極地」「都市」「大地」「空」と 6 つの部に分かれている。
どの文章を読んでもわかるのは石川さんが「ここ」から遠ざかるために探検へ向かっているのではなく「今行きたいその場所」への熱でもって足を踏み出していることだ。だからこそ、章立てには「山」や「極地」だけでなく「都市」がある。
子供の頃の通学路を「はじめての旅」とも言えるといい、自室でヨガを始めてみるのもウィーンで友人と展覧会を開くのも、南極で迎えた新年や星明かりで歩いたチョモランマと同じように石川さんの糧となっていく。
この独特の視線の水平さはこの本の随所で見られる。「旅へ出よう」と誘ってくるのではない、「旅はその人の人生のどこにでもある、いつでも始められる」と石川さんは言うのだ。
冒頭に、本と同タイトルのエッセイが置かれてある。アウトドア用品メーカー・パタゴニアの社長・イヴォン・シュイナードと鎌倉を歩きながら話した時のエッセイで、イヴォンの発言「冒険なんてどこにでもあるものさ。そんなものは自分で生みだせばいいんだ。複雑なものから、よりシンプル、より純粋なものへと追求していく過程というのは全てが冒険なんだよ」を受け、「世の中に溢れるモノに背を向けて、シンプルな生活を目指すのも、たくさんある選択肢の中から本当に自分のやりたいことを選び追求することもそれは冒険だろう。」(pp.9-10)と応える。
このくだりから石川直樹さんという人の魅力を感じた。物理的な大冒険を繰り返しながら、精神的冒険の豊かさも同じ距離感で示してくれる。
他、特に印象に残った部分を抜き書きしてみる。
チョモランマの頂上を目前に星の下で、「正面にあるチョモランマの頂上ピラミッドを見つめながら、やがてその直下に立って頂きを仰ぐまでの時間、それは人生の幸福といってもいい。宇宙と対面し、発する光を全身に浴びて歩くこと。たとえそのすぐ先で滑落しようとも、この瞬間瞬間に確かに自分が存在していることが、ぼくにとって生きている喜びなのだと思った。」(p.82))
グライダーで遊んだ後、自転車やカヤックのように動力なしに自分の力で空を旅する日を夢見ながら、「大陸から離れ、海や空を隔てて自分が住んでいる場所を見つめ直すと、また違った様相が見えてくる。空へ飛び出さずとも、あらゆる土地や考えから自分を“離陸”させることはできる。そのとき人は世界を素晴らしいと感じられるのかもしれない。」(p.240)
この本に「どこかへ行け」という示唆はない。「今ここにいる自分」から全てが始まるのだというメッセージが一心に感じられる。だからエッセイはただの冒険譚に終わらず、私自身の今これからの生き方に引き寄せて読むことができる。
もし少しでも気になったら、まずは冒頭の「全ての装備を知恵に置き換えること」を読んでみて欲しい。それでもまだ迷ったら、一番最後のエッセイ「雪送り」を読んでみて欲しい。
人は生きている間に無数の思想に出会うけれど、生きるということの本質は「全ての装備を知恵に置き換えて、より少ない荷物で、あらゆる場所へ移動すること」(「雪送り」より)にあると思えてならない。無数にある思想や生き方のなかで、「これこそ」だと思えてならない。
私のとても根深いところがこの本のタイトルと共鳴した。
この本を読み始めた日、7 月 28 日まで表参道 GYRE で開催されていた石川さんの写真展『Lhotse|Manaslu』に行ってきた。会場にはご本人がいらした。読みながらこの文章を書いた人と出会えたことで、この一冊はますます私にとって忘れがたいものになった。
読了してみて、再度まったく同じことを思う。「全ての装備を知恵に置き換える」とは、何も持たず身一つで立つということ。究極の理想をこんなに端的に表現したタイトルに惹かれないわけがない。読む前から「いい本」と言い切っているのもこのタイトルあってだ。
著者の石川直樹さんは 22 歳で Pole to Pole という企画に参加し、北極から南極までを人力で縦断した。翌年 23 歳でチョモランマ登頂に成功している。これは当時の最年少記録を塗り替える登頂だったそうだ。
石川さんは探検家であり、写真家でもある。この本の表紙写真も石川さんによるものだし、本文にもたくさんの写真が収められている。石川さんがその足で立ったその場所でしか見られない景色、もの、人を撮った写真だ。白黒印刷だけれど、どれもじっと見入ってしまう魅力的に満ちている。
50 篇に近いエッセイの文体は清明で読みやすく、かつ上滑りもしていない。自分の足を一歩一歩踏み出すことでどこへでも行くことができると自分の体で知っている人の文章はこんな風なのかと、その懐の深さと居心地のよさにいつまでも読んでいたくなる。読了してもこの文章から離れがたく、何度もページをめくり返した。
石川さんのフィールドは広い。山も海も街も行く。エッセイは「海」「山」「極地」「都市」「大地」「空」と 6 つの部に分かれている。
どの文章を読んでもわかるのは石川さんが「ここ」から遠ざかるために探検へ向かっているのではなく「今行きたいその場所」への熱でもって足を踏み出していることだ。だからこそ、章立てには「山」や「極地」だけでなく「都市」がある。
子供の頃の通学路を「はじめての旅」とも言えるといい、自室でヨガを始めてみるのもウィーンで友人と展覧会を開くのも、南極で迎えた新年や星明かりで歩いたチョモランマと同じように石川さんの糧となっていく。
この独特の視線の水平さはこの本の随所で見られる。「旅へ出よう」と誘ってくるのではない、「旅はその人の人生のどこにでもある、いつでも始められる」と石川さんは言うのだ。
冒頭に、本と同タイトルのエッセイが置かれてある。アウトドア用品メーカー・パタゴニアの社長・イヴォン・シュイナードと鎌倉を歩きながら話した時のエッセイで、イヴォンの発言「冒険なんてどこにでもあるものさ。そんなものは自分で生みだせばいいんだ。複雑なものから、よりシンプル、より純粋なものへと追求していく過程というのは全てが冒険なんだよ」を受け、「世の中に溢れるモノに背を向けて、シンプルな生活を目指すのも、たくさんある選択肢の中から本当に自分のやりたいことを選び追求することもそれは冒険だろう。」(pp.9-10)と応える。
このくだりから石川直樹さんという人の魅力を感じた。物理的な大冒険を繰り返しながら、精神的冒険の豊かさも同じ距離感で示してくれる。
他、特に印象に残った部分を抜き書きしてみる。
チョモランマの頂上を目前に星の下で、「正面にあるチョモランマの頂上ピラミッドを見つめながら、やがてその直下に立って頂きを仰ぐまでの時間、それは人生の幸福といってもいい。宇宙と対面し、発する光を全身に浴びて歩くこと。たとえそのすぐ先で滑落しようとも、この瞬間瞬間に確かに自分が存在していることが、ぼくにとって生きている喜びなのだと思った。」(p.82))
グライダーで遊んだ後、自転車やカヤックのように動力なしに自分の力で空を旅する日を夢見ながら、「大陸から離れ、海や空を隔てて自分が住んでいる場所を見つめ直すと、また違った様相が見えてくる。空へ飛び出さずとも、あらゆる土地や考えから自分を“離陸”させることはできる。そのとき人は世界を素晴らしいと感じられるのかもしれない。」(p.240)
この本に「どこかへ行け」という示唆はない。「今ここにいる自分」から全てが始まるのだというメッセージが一心に感じられる。だからエッセイはただの冒険譚に終わらず、私自身の今これからの生き方に引き寄せて読むことができる。
もし少しでも気になったら、まずは冒頭の「全ての装備を知恵に置き換えること」を読んでみて欲しい。それでもまだ迷ったら、一番最後のエッセイ「雪送り」を読んでみて欲しい。
人は生きている間に無数の思想に出会うけれど、生きるということの本質は「全ての装備を知恵に置き換えて、より少ない荷物で、あらゆる場所へ移動すること」(「雪送り」より)にあると思えてならない。無数にある思想や生き方のなかで、「これこそ」だと思えてならない。
私のとても根深いところがこの本のタイトルと共鳴した。
この本を読み始めた日、7 月 28 日まで表参道 GYRE で開催されていた石川さんの写真展『Lhotse|Manaslu』に行ってきた。会場にはご本人がいらした。読みながらこの文章を書いた人と出会えたことで、この一冊はますます私にとって忘れがたいものになった。
初版:2005 年 9 月 晶文社
≫ Amazon.co.jp(集英社文庫)
≫ 石川直樹公式サイト