メモ
2006.11.28
 時間があるのに任せて、昨夜は夜通しで「魔性の子」を読み終えてしまいました。今朝の八時ころになってようやく読了。読み途中で寝るのがいやで真夜中や明け方までかけて読みきるなんていうのは、小学校や中学校に通ってたころにはよくやったことですが、いやはやもうすることはないと思ってました。面白いと止まらないものです。
 十二国記の世界観を知っていて読んでいるから、広瀬が「お前のエゴなんだ」と高里に突きつけるシーンは胸が痛かったです。違うんだ、と。十二国記より先に「魔性の子」を読んでいたら、どうなっていたでしょう。言っても詮ないことなので、深く考えはしませんが。
 「魔性の子」の前半あたりまでは「黄昏の岸 暁の天」を飛び飛びに読み返しながら、思い出しつつ読み進めていました。今、もう一度「月の影 影の海」を読み返してます。全部読みきるか…はわかりませんが、やっぱり十二国記の世界は心地よく大好きで、ひたっていたくなりました。

 さて、ところで藤原薫さんの画集を見たのですが…。変わらず蠱惑的なこの世界観。ここまで空気を感じさせてくれる絵を描く人は、そうはいないと思います。
 で、各イラストの初出をぱらぱらと眺めていたわけですが…「『格闘する者に○』 表紙イラスト」と出ていて、「はっ?」と(笑) 「えっ、ちょっと待ってなにやってるの藤原さん、っていうか三浦さんていうか藤原さん!」と、そんな勢いでばたばたと確認したら、本当に表紙を描いてました(あたり前なんですが)。ひょんなところで意外な人たちがつながるのは往々にしてあることですが、今回はちょっとないくらいびっくりしました。そういえば、三浦しをんさんを初めて知ったのは「格闘する者に○」を雑誌で見て、だったと思います。未読なんですが。
2006.11.27
 小野不由美さんの「魔性の子」を読んでます。小野さんは「十二国記」をおすすめいただく前から気になっていた作家さんなんですが(「屍鬼」をずっと読んでみたかった)、この「魔性の子」には蒿里が出てくると知ってさっそく買ってきました。「十二国記」のキャラクターはみんなそれぞれ魅力的で大好きなんですが、蒿里は麒麟の中でもかなり好きな方です。
 まだまだ読み出したばかりです。楽しみます。小野さんの書く文章はすんなりとして、だからこそじんわりと感じ入ってしまいます。
2006.11.27
 「少女七竈と七人の可愛そうな大人」、昨日読み終えました。
 不可思議な登場人物と寓話的な世界の中で、実はこれは誰もが抱える物語で、七竈はごくありふれた少女なんじゃないかと、思うのです。リリー・フランキーさんの「東京タワー」は息子から見た母の姿だけれど、これは、娘から見た母の物語。明快な愛情で結ばれることが出来なかった、母と娘の物語。私は、七竈の母である優奈を、責められない。母であることを強要することは、どうしても出来ない。けれど、母を求める七竈に理解しろとも言えない。
 だから、時間をかけるのだと思う。赤い実が土に埋もれて芽を出し育ち白い花をつけるまでには、失う痛みが必ずある。さようならという言葉が必要になる。
 梅木の、「女の人生ってのはね、母をゆるす、ゆるさないの長い旅なのさ」という言葉がなんとも印象深い。
 女が髪を切るというのは、変貌しようとする足掻きの表れなのかもしれません。
2006.11.23
 「少女七竈と七人の可愛そうな大人」を読み始めました。
 これは、読み途中で半端な感想なんか持ったらもったいないような気がします。ぜひ、読後にゆっくり感想を書かせてください。

 バイトから帰ってきたら、藤原薫さんの画集が届いてました。まだ開封できてません。これからゆっくり浸ろうと思います。藤原さんは、岩井俊二やCoccoが好きな方なら、好きなんじゃないかなぁと思います。

 そして、ご案内ページにこっそりコンテンツが増えました。リニューアルを目前にして、コンテンツを増やしたりしないようにしようと思っていたのですが、思いついたら動いてしまいました(笑) 備忘録です。
2006.11.22
 「銀の犬」を読み終えました。おすすめありがとうございます。この本を読めてよかったです。
 昨日も書きましたが「恋を歌うもの」と、そして「三つの星」が好きです。それと、トリヤムーアが好きです(黒猫大好きです!)。トリーと略さず、トリヤムーアと呼びたい。
 この世に想いを遺した魂を巡る物語だから、語られる人々はだれもがもの哀しくやるせない。けれど、オシアンの竪琴の音に包まれた魂は、不思議なくらいにやすらぎに満ちる。想いに捕らわれてしまった魂を解き放つオシアンにもまた、取り戻せない哀しみがある。だからこそ彼はあんなにも魂に語りかける音を紡げるのか、それはわからないけれど、救う側の彼が心やすらぐのは、きっとブランの存在になのだろうと思う。オシアンとブランの旅路がやさしいものであるようにと、祈りたくなる。