12月15日に神奈川県の三浦郡葉山町で開催された「はやま一箱古本市」へ行ってきた。逗子駅からバスに揺られて10分ほど、森山神社の境内にある「一色会館」という建物が会場。壁に書かれた一色会館の文字の字体が独特で面白く、建物自体も不思議なかたちで、一度見たら忘れられない建物だった。13時頃着いた時、一色会館の小さな玄関には靴がびっしり。引き戸の外にまで靴が並んでいた。
畳敷きの建物内はヒーターがいくつか置かれて、本と人でいっぱいで、物理的にも雰囲気もふわっと温かかった。まずはぐるっと一周回って、二巡目はゆっくりと本格的に物色を始めた。
以下、購入順に買った本のことをつらつらと。
畳敷きの建物内はヒーターがいくつか置かれて、本と人でいっぱいで、物理的にも雰囲気もふわっと温かかった。まずはぐるっと一周回って、二巡目はゆっくりと本格的に物色を始めた。
以下、購入順に買った本のことをつらつらと。
四畳半ノ星空書房
『室内の都市 36の部屋の物語』 海野 弘
タイトルが気になって手にとった。
私はTumblerで海外の写真を見るのが好きなのだけど、自分がスキをつける写真には寝室の写真がやたらと多いことに気がついていた。どうにも根っからのインドア派のようで、街並みの写真よりも誰かが暮らしている部屋のなかの様子が好きだ。ワンルームの友人の部屋に遊びに行くのも好き。「ワンルーム」というのがミソらしい。その人の生活、ひいては人生が、簡単に見渡せるその一室に凝縮している感じ。
なので、オープンでなくクローズドな響きの「室内の都市」というタイトルには一瞬で惹かれてしまった。本物の都市では生まれ得ない、屋内だからこそ生じる内に向かう無限の広がりを感じるタイトルだと思う。
タイトルが気になって手にとった。
私はTumblerで海外の写真を見るのが好きなのだけど、自分がスキをつける写真には寝室の写真がやたらと多いことに気がついていた。どうにも根っからのインドア派のようで、街並みの写真よりも誰かが暮らしている部屋のなかの様子が好きだ。ワンルームの友人の部屋に遊びに行くのも好き。「ワンルーム」というのがミソらしい。その人の生活、ひいては人生が、簡単に見渡せるその一室に凝縮している感じ。
なので、オープンでなくクローズドな響きの「室内の都市」というタイトルには一瞬で惹かれてしまった。本物の都市では生まれ得ない、屋内だからこそ生じる内に向かう無限の広がりを感じるタイトルだと思う。
こんきち
『落葉松』 丹地 保尭 写真、串田 孫一 詩文
古書店や古書市を歩いていると「どうしてこれがまだ売れずにいるんだろう?」と不思議になりながら購入する本に出会う。これもそういう一冊。
とはいえ私は古書の相場を知っているわけでも、入手の難易度を知っているわけでもない。ただ自分の読みたい、持ちたいと思った本を買っているだけ。なので、この「どうしてこれが」というのはとてもエゴイスティックな感想に過ぎない。でも、それでいいや、と思う。ものの価値は自分だけが決めればいいと思う。
カラマツの林の四季を、丹地さんの写真と串田さんの詩で綴った一冊。函入りの布装幀で、こぢんまりと静けさを持ついい雰囲気。
古書店や古書市を歩いていると「どうしてこれがまだ売れずにいるんだろう?」と不思議になりながら購入する本に出会う。これもそういう一冊。
とはいえ私は古書の相場を知っているわけでも、入手の難易度を知っているわけでもない。ただ自分の読みたい、持ちたいと思った本を買っているだけ。なので、この「どうしてこれが」というのはとてもエゴイスティックな感想に過ぎない。でも、それでいいや、と思う。ものの価値は自分だけが決めればいいと思う。
カラマツの林の四季を、丹地さんの写真と串田さんの詩で綴った一冊。函入りの布装幀で、こぢんまりと静けさを持ついい雰囲気。
まがりや む庵
『The Eclectic Abecedarium』 Edward Gorey
我らがエドワード・ゴーリー(ってなんだ)の小ぶりな絵本。サイズのタテヨコは13×11センチほど。
エドワード・ゴーリーだ! と飛びついてページを繰ってみたら私の好きなA to Z絵本で、しかもイラスト(なんと色付き)がやたらとかわいい。ゴーリーの絵とは思えないほどかわいい。内容は教訓じみた箴言のような感じで、特に誰もひどい目に遭っていない。ますますゴーリーらしくない。ちなみにこれは和訳されたものではなく、アメリカで売られている版。
そうか、エドワード・ゴーリーはこんな絵本も出していたのだなと驚いていたら、店主さんに「この間行ったエドワード・ゴーリー展で買ってきたばかりなんですよ。だからほとんど新品で」と声をかけて頂いた。
「エドワード・ゴーリー展をやっていたこと自体知らなかったです」と返したら、「確かまだやってますよ」と。口づてに美術展の情報を教えてもらう機会なんてほとんどなく、それが嬉しくて、本もそのまま購入させて頂いた。
我らがエドワード・ゴーリー(ってなんだ)の小ぶりな絵本。サイズのタテヨコは13×11センチほど。
エドワード・ゴーリーだ! と飛びついてページを繰ってみたら私の好きなA to Z絵本で、しかもイラスト(なんと色付き)がやたらとかわいい。ゴーリーの絵とは思えないほどかわいい。内容は教訓じみた箴言のような感じで、特に誰もひどい目に遭っていない。ますますゴーリーらしくない。ちなみにこれは和訳されたものではなく、アメリカで売られている版。
そうか、エドワード・ゴーリーはこんな絵本も出していたのだなと驚いていたら、店主さんに「この間行ったエドワード・ゴーリー展で買ってきたばかりなんですよ。だからほとんど新品で」と声をかけて頂いた。
「エドワード・ゴーリー展をやっていたこと自体知らなかったです」と返したら、「確かまだやってますよ」と。口づてに美術展の情報を教えてもらう機会なんてほとんどなく、それが嬉しくて、本もそのまま購入させて頂いた。
童求堂
『名著復刻 芥川龍之介文学館 澄江堂遺珠』 芥川 龍之介
これは完全に装幀買い。なにげなく手にとって開いてみたら本文に漉紙を使っていて、しかも天と小口を切りそろえていない。なので、ページを繰るたびに和紙をちぎったあの独特の毛羽立った手触りを味わえる。なんともいいつくり。
実は私は芥川龍之介は特に好きではなくて、だからこそ、この本を買ったのだと思う。こういう本が、芥川の世界に入っていくきっかけになるのじゃないかなという期待を持って。
これは完全に装幀買い。なにげなく手にとって開いてみたら本文に漉紙を使っていて、しかも天と小口を切りそろえていない。なので、ページを繰るたびに和紙をちぎったあの独特の毛羽立った手触りを味わえる。なんともいいつくり。
実は私は芥川龍之介は特に好きではなくて、だからこそ、この本を買ったのだと思う。こういう本が、芥川の世界に入っていくきっかけになるのじゃないかなという期待を持って。
ドンべーブックス
『白いプラスティックのフォーク 食は自分を作ったか』 片岡 義男
片岡義男さんの名前はもう何年も前から知っていて、けれどなかなか読む機会がなかった。いろんな書店でいろんな片岡さんの本に会って、そのたび買うことはなく、今回とうとう購入に至ったのは副題の「食は自分を作ったか」というフレーズに反応してのこと。
この一年ほど、食べ物が自分を作るということに強い実感を持っている。ここをもうちょっと深く突き詰めてみたいなと思っていた矢先だったので、これを機会にととうとう片岡さんの本を手に入れた。
片岡義男さんの名前はもう何年も前から知っていて、けれどなかなか読む機会がなかった。いろんな書店でいろんな片岡さんの本に会って、そのたび買うことはなく、今回とうとう購入に至ったのは副題の「食は自分を作ったか」というフレーズに反応してのこと。
この一年ほど、食べ物が自分を作るということに強い実感を持っている。ここをもうちょっと深く突き詰めてみたいなと思っていた矢先だったので、これを機会にととうとう片岡さんの本を手に入れた。
ミユキハウス
『愛おしい骨』 キャロル・オコンネル
トランクがいくつも並んだ店先で、あれこれ物色して選んだ一冊。
でも実は、ミユキハウスさんで一番素敵だったのは古本ではなくてご店主と奥様がそれぞれ作った手製絵本。売り物ではありませんという注意書きと共に何冊も重ねられた絵本は、すっきりとした線とやわらかく綺麗な色鉛筆(たぶん。画材に詳しくないので断定できない)がとても良い雰囲気で、しゃがみ込んでつい何冊もじっくりと読みふけってしまった。
古いものは1990年代に作られたもので、少し製本がゆるみ、それがまた幾度も開かれてきたのだろうなあという愛されてきた本の気配があって、そうか本にはこんなかたちもあったんだなあと、驚きのような嬉しさのようなものでいっぱいになった。
ミユキハウスさんのこの手製絵本を読む機会があったら、またどこへでも出かけていってしまいそう。このイラストでポストカードとか売ってくださらないかしら…と心ひそかに考えたりも。
トランクがいくつも並んだ店先で、あれこれ物色して選んだ一冊。
でも実は、ミユキハウスさんで一番素敵だったのは古本ではなくてご店主と奥様がそれぞれ作った手製絵本。売り物ではありませんという注意書きと共に何冊も重ねられた絵本は、すっきりとした線とやわらかく綺麗な色鉛筆(たぶん。画材に詳しくないので断定できない)がとても良い雰囲気で、しゃがみ込んでつい何冊もじっくりと読みふけってしまった。
古いものは1990年代に作られたもので、少し製本がゆるみ、それがまた幾度も開かれてきたのだろうなあという愛されてきた本の気配があって、そうか本にはこんなかたちもあったんだなあと、驚きのような嬉しさのようなものでいっぱいになった。
ミユキハウスさんのこの手製絵本を読む機会があったら、またどこへでも出かけていってしまいそう。このイラストでポストカードとか売ってくださらないかしら…と心ひそかに考えたりも。
湘南きさらぎ堂
『吉祥天女』 吉田 秋生
コミックを古書で買うのはかなり珍しい。実は、『吉祥天女』は十年以上前に一度文庫版で買って、そして手放した本。当時はこの面白さがわからなかったんですね。
手放したコミックは数あれど、いつでも意識のどこかに引っかかっていたのはこれ。しかし、何冊か買ってみて自分は文庫サイズのコミックは苦手なのだと自覚した後では、文庫版を買い直す気にはなれずそのままになっていた。
それを単行本サイズで見つけてしまい、あわあわと内心で慌てた。最初に見たのは「まずは会場を歩いてみよう」とふらついていた一巡目で、その時は一端心を落ち着けようと、きさらぎ堂さんの前を離れた。それからぐるっと会場を回り、上記の他の本たちを買い、再度きさらぎ堂さんの前に戻って来た時、『吉祥天女』はまだあった。
また店先にしゃがみ込んで手を伸ばして迷っていた私に、店主さんが「少しお安くしますよ」と声をかけてくださって、ありがたく購入。帰り道にさっそく読み返して、「まったく十年前の私はどうしてこれを手放す気になったんだろう」と頭をひねった。
コミックを古書で買うのはかなり珍しい。実は、『吉祥天女』は十年以上前に一度文庫版で買って、そして手放した本。当時はこの面白さがわからなかったんですね。
手放したコミックは数あれど、いつでも意識のどこかに引っかかっていたのはこれ。しかし、何冊か買ってみて自分は文庫サイズのコミックは苦手なのだと自覚した後では、文庫版を買い直す気にはなれずそのままになっていた。
それを単行本サイズで見つけてしまい、あわあわと内心で慌てた。最初に見たのは「まずは会場を歩いてみよう」とふらついていた一巡目で、その時は一端心を落ち着けようと、きさらぎ堂さんの前を離れた。それからぐるっと会場を回り、上記の他の本たちを買い、再度きさらぎ堂さんの前に戻って来た時、『吉祥天女』はまだあった。
また店先にしゃがみ込んで手を伸ばして迷っていた私に、店主さんが「少しお安くしますよ」と声をかけてくださって、ありがたく購入。帰り道にさっそく読み返して、「まったく十年前の私はどうしてこれを手放す気になったんだろう」と頭をひねった。
絵本屋きりん
『空の開拓者』 サン・テクジュペリ
『夜間飛行』を読んでサン=テグジュペリの描く世界と堀口大學さんの文体に惚れ込んでしまった。『空の開拓者』は『人間の土地』を改題したもの。昭和14年発行のこの本は旧字旧かなで書かれていて、はたして自分はしっかりとこの本を読むことができるだろうかと悩みに悩んだ。けれど、どうしてもこの一冊は諦められなかった。
悩んだということは、旧字旧かなの本を読みつけない私が「古い空気を楽しむために読む」のでなく「ひとつの作品としてこの本を読む」気構えを持っているということで、迷わず購入しなかったのはそれだけこの本をきちんと読みたかったということでもある。
絵本屋きりんさんはかわいらしい屋号に似合わず渋いセレクトが多くて、ここだけでもう4、5冊も「欲しい」と思う本があった。最近の積読の多さから断念したけれど、今になって後悔している本が実は数冊。古本市には気持ちと棚と財布に余裕のある状態で行くべきだと最後に痛感させられてしまった。
『夜間飛行』を読んでサン=テグジュペリの描く世界と堀口大學さんの文体に惚れ込んでしまった。『空の開拓者』は『人間の土地』を改題したもの。昭和14年発行のこの本は旧字旧かなで書かれていて、はたして自分はしっかりとこの本を読むことができるだろうかと悩みに悩んだ。けれど、どうしてもこの一冊は諦められなかった。
悩んだということは、旧字旧かなの本を読みつけない私が「古い空気を楽しむために読む」のでなく「ひとつの作品としてこの本を読む」気構えを持っているということで、迷わず購入しなかったのはそれだけこの本をきちんと読みたかったということでもある。
絵本屋きりんさんはかわいらしい屋号に似合わず渋いセレクトが多くて、ここだけでもう4、5冊も「欲しい」と思う本があった。最近の積読の多さから断念したけれど、今になって後悔している本が実は数冊。古本市には気持ちと棚と財布に余裕のある状態で行くべきだと最後に痛感させられてしまった。
一箱古本市は、今年のGWに行った不忍ブックストリートのもの、6月に行ったブックカーニバル in カマクラに続き、3回目。
はやま一箱古本市は、会場がひとつの建物のなかだからか、冬の気候のせいか、店主さん、お客さん、みんなでちょっとした異空間に入りこんだような、外とは別世界の空間で時を過ごしたように感じられました。
店主さん同士の交流が深そうで、あちこちから聞こえてくる会話にこっそり耳をそばだてるのも楽しく。お子さん連れの方が多く、赤ちゃんまでいたのにびっくりしたりもしました。屋根のある会場だから安心して来られるというのもあるのじゃないかなと思うと、一箱古本市は開催時期や開催場所によって本当に表情が変わるなあとしみじみ。
はやま一箱古本市はことこと煮込んだシチューのような、冬の寒さのなかでほっと息をついて温かさにしみじみする、そういう空間でした。
本当は、会場の一色会館を境内に持つ森山神社や会場ほど近くの御用邸など、周辺を散歩する時間を持てればよかったのだけど、本を詰め込んだ鞄が重くてささっと帰路についてしまいました。
と、言いつつ、バスを途中下車してミサキドーナツさんに寄り道を。ミサキドーナツさんは鎌倉の古書店books mobloさんが今月上旬〜中旬に期間限定で販売イベントをしたことで知ったドーナツ屋さんです。食べごたえがあって甘くて美味しい。4種類のドーナツを買って帰ったんですが、ここのドーナツは1つ食べると次から次へと手が伸びてしまうのでとてもキケンです。
『吉祥天女』を読みふけりながら、ミサキドーナツのお土産を抱えての帰路。天気はよくて、冬の晴れ日は澄んで冷たい空気が心地よく、平日の疲れをすべて吹き飛ばしてくれる幸福で充実した休日になりました。
ちなみに、まがりや む庵のご店主に教えて頂いたエドワード・ゴーリー展は無事23日に観て来ました。原画や大判ポスターを見れたのがとても楽しく、また来ている客層も絶妙に個性的な人が多く、いろいろな意味で面白い展示でした。