メモ
2008.04.02
 どうにも最近このメモをさぼり気味だったので、思い立ったときにきちんとこまめに書いていこうと思います。

 小説は、現実から逃避するためのものと、現実と直面するためのものと、おおきくふたつにわけることができて、現実から逃避する小説の代表格はいわゆるライトノベルだと思っています。
 私はラノベを大量に読むことで読書を完全に習慣化したふしがあるので、一概にラノベをくだらないとか意味がないと断じることができません。しかし、その世界にどっぷりはまっていたからこそ、その空虚さを知っているからこそ、人にはすすめたくないなと思っています。
 できるだけ、自分の身となって残り続ける小説を、読んでいたいと思っています。

 「ICO」、さすがに宮部みゆきさんが書いているだけあって、ざくざく読み進められます。
 少し、「孤宿の人」を思い出しながら、読んでいます。
2008.04.01
 二週間以上かかってしまいましたが、「ムーン・パレス」を読了しました。
 私事ですが、私は大学の留年が決まっていて(二年余計に通います)、一緒に入学した友人達は今日から社会人です。
 みんなで呑んだり卒業式のあとにやっぱり呑んだり、ほかにも高校時代の友人と久々にあったりと、三月はずいぶんばたばたしていて、なかなか読む時間がとれずにいました。ただ、やっぱり、忙しさにかまけることなく、読書の時間はちゃんととりたいなと思います。四月は、もう少し冊数が増えるようにするつもりです。

 さて、「ムーン・パレス」ですが、驚くほど面白かったです。私はずっと海外小説が苦手だったのですが、翻訳家の腕がよければこれほど読みやすいのか、というところに、まず驚きました。そして、オースターの人間描写の精密さに、ただただ圧倒されながら読み進めていました。
 主人公は、常識からずれているひとりの青年。彼のちょっとした感情の動きに、私は共感しつづけながら読んでいました。それはたぶん、オースターが、いつわることやごまかすことをしないまま、あるがままに、青年の心を見据えて描き出しているからだと思います。
 400ページを超える長い小説には、青年と、ひとりの老人と、老人の息子、三人の人生がつめこまれています。そのそれぞれのかかわりはすべてが偶然でつながれていて、現実にはとてもありえないように思えるけれど、だからこそ、小説として存在する意味がある、のだと思います。ありえない偶然の世界だからこそ、描けるものがあると思っています。

 ことばをつくしても言い表せないほど、私はこの本に共感しながら、のめりこみながら、読んでいました。おすすめいただけたことに、心から感謝します。ありがとうございました。
 まだうまく消化しきれていませんが、とても大切な本になりました。オースターのほかの本も、読んでみたいと思います。
 その他のページにも、オースターの項目を追加しました。

 次は、「ICO―霧の城―」を読みます。ずーっと読んでみたくて文庫化を待っていたのですが、友人が持っていることが判明して、借りてきました。
 借りたものはなるべく早く返したいたちなので、おすすめ本もたまっている状況ではありますが、先にこちらを読もうと思います。
2008.03.14
 「武士道」、ようやく読み終わりました。岩波文庫のなかではわりと読みやすい方だと思うのですが、きちんと読み下すにはやっぱり時間がかかりました。それでも、まだまだ理解にはほど遠いところにいる気はします。

 たぶん、決して、武士道の実践的な部分を説明した本、というわけではないのだと思う。模範的で、害のない(と言ってしまってもいい)面だけに光を当てているのではないかな、という感じ。それは、血なまぐさい部分が見えてこないから。理想化、あるいは美化されているといってもいい。
 そう感じるのは、現代が武士道に対して抱いている「古き善きものである」という考え方に、私が否定感を持っているからでもあると思う。それもそもそも、古き善きものという考え方自体が懐古趣味でしかないよなぁ、というところから来ているのですが。いい悪いはさておいて、真実や事実ではありえないよなぁ、と。
 良くも悪くも、廃れゆくものは美化される、ということな気もします。

 ただ、理想化されているということは、それを自分の目標や指針のひとつに置くことができる、ということでもあると思う。
 日本に武士と呼ばれる人々がいて、彼らの所作言動が大衆に影響した、というところはおそらく事実なのではないかな。日本人が持つ日本人らしさの根っこのひとつに武士道があるというなら、それをこうやって読んでみるのは、やっぱり面白い。

 さて、ようやく、推薦でおすすめいただいていた本を読む時間ができました。
 まずは、「ムーン・パレス」を読んでみます。
2008.03.07
 「有頂天家族」をおすすめいただき、ありがとうございました。
 森見登美彦さんは、「夜は短し歩けよ乙女」の表紙に惹かれたことがあったり、yom yomのメールマガジンで話題になっていたりと、なにかと気になっていた人でした。時間を見つけられ次第、読んでみようと思います。

 今は、大学の授業で「代表的日本人」を読んだつながりで、新渡戸稲造の「武士道」を読んでいます。厚みもないしわりと読みやすい文なので、それほど時間をかけず読了できるかなと思います。
2008.03.05
 「漆の実のみのる国」を読了しました。去年、大学の研究室の教授から課題図書として指定された「代表的日本人」について授業で話しあったとき、「上杉鷹山に興味がわいたなら、この本も鷹山について書いてるよ」と教えられて、春休みに読んでみようと思っていたもの。
 「代表的日本人」は史実からはかなり離れた文章だったので、それしか読んでいないのはこわいな、ということもあって。ただ、それなら次に手に取ったのが小説でいいのか、という話でもありますが、藤沢周平を一度は読んでおきたいということもあって。

 いろいろな本を読んでいると、泣けるということと感動はちがうし、笑えるということと楽しいはちがうし、中毒性が高いと好きだはちがう、ということに気がついてきます。読み終えて、ああ、まだ読んでいたいな、藤沢周平のほかの小説を読んだらこの欲求に応えられるかな、と思ったのですが、これはたぶん中毒性の高さだと思います。小野不由美なんかもこんな感じ。ただ、彼女の作品の持つ中毒性の理由は、藤沢周平とはまた違いますが。

 たぶん「漆の実のみのる国」は、奇をてらわないストレートな感じが心地よかったのだと思います。解説を読むとこれは藤沢周平の遺作ということで、私が感じたのは、長年書き続けてこなれた作家の持つ居心地のよさ、のようなものだったのかもしれません。浅田次郎の「姫椿」を読んだときにも思いましたが、伝えたいことをありのままに飾らずに書く、というのは、若いうちにはきっとずいぶん難しいことだと思うので。
 藤沢周平の書く上杉鷹山像はとても好ましい人物で、それもたぶん、まだ読んでいたいと感じた理由のひとつだと思います。


 小野不由美といえば、先月27日に発売されたyom yomのvol.6に掲載された「十二国記」の番外短編を、28日朝に買ってバイトの休み時間をつかって読破しました。この勢い込んでしまう感じが、中毒性の高さを表してると思います。
 本当はそのままyom yomを読み終えるつもりでいたのですが、「十二国記」を読み終わってみると感慨が深すぎて、しばらくはその余韻にひたっていたくなってしまいました。私が大好きな国を舞台にしていたこともあって、嬉しさもひとしおです。「十二国記」は、少しでも読むとシリーズ全巻を読み返したくなるから困ります。
 私が一番最近に読んだ小野さんの作品は「屍鬼」で、あの重苦しさが記憶にこびりついて離れない身としては、今回の明るさを持った短編はとてもうれしいものでした。


 さて、おすすめいただいていた「赤い星」、ようやく読めました。漫画喫茶での読了だったので手元にないのですが、主役のふたりはもちろんのこと、レオの奥さんに心引かれてやみません。「正しくはないけれど愛していた」、ということばが、ずっと残っています。
 正しいとされる愛し方、正しくないとされる愛し方、というのは確かにあって、ただ、その区別ってそんなにも簡単につけられるんだろうか、といつも考えています。正しいばかりが価値だろうか、とも。
 正しいといわれる道だけを選んでいくことは、とても労力や自制心のいることだけれど、間違いといわれる人を気軽に蔑めるという特権も持っていると思っています。でも、間違えたらそこで、価値はなくなってしまうんだろうか。
 ふたりがそれぞれに見つけた星のように、ただ自分にとって価値があるのなら、一般のものさしでの正しさや間違いは、それこそ無価値になってしまう、と思うのです。
 そんなことを、感じさせられました。
 おすすめ、ありがとうございました。他の本も、時間を見つけて読んでいこうと思います。


 最後に、これまでこのメモではタイトルからAmazon.co.jpにリンクを貼っていましたが、その手間がメモを書くことを遠ざけてしまっていたので、これからはリンクは貼らないつもりでいます。余裕ができたときには、またリンクを貼るようにするかもしれません。
 もしご不便でしたら、お気軽にお知らせください。できるだけ、対応してみます。
(2008年12月に、これ以前のメモもタイトルからAmazon.co.jpへのリンクを削除済み)