メモ
2006.10.26
 え、と。しばらくメモを更新しない、と言っていたのですが、昨日読んだ「蛇にピアス」の話をどうしてもしたくて、結局、早々に更新停止を解除です。中途半端ですね…。
 ストレートな書き方はしていないですが、一応、SMなどの話が苦手な方はご注意くださいませ。では、下のリンクからどうぞ。
「蛇にピアス」の感想へ
2006.10.25
 しばらく、メモの更新を停止いたします。
2006.10.24
 「コン テ」のネーリとか、「クマとインテリ」のファウストとか、大好きです(笑) なんでしょうね。可愛い人とかヘタレな人とかにどうも反応してしまいます。
 私は普段、BLというジャンルはあまり読まないんですが、やっぱり好きな作家さまが書いたものに関してはそういうジャンル分けは意味がなくなります。見せ方とか、流れとか、雰囲気とか、やはりいいものをつくるなぁ、と惚れ惚れします。
 ところでこれ、ボーイズラブ…とは違うジャンルなんじゃないかなぁと思うのですが。ボーイ…ではないですよね(笑)

 「黒山さんのニオイ」、雰囲気としてはこの話が一番好きです。8ページとか、10ページとか、漫画としては最小の構成のなかにぎゅっと込められるものが好きなのかもしれません。黒山さんみたいなキャラも好きです。人をくったように飄々としてるのはもう、年の功ってことなのか(笑) こういう人がずっと傍観者でいるようなストーリーも、逆に巻き込まれていくのも、楽しくなります。

 一番幸せでいてくれると嬉しいのは、やっぱりファウストですが。
 ブルーノではなく、写真を認めることばを言う、それを通してブルーノに伝える。その、心が通じてる感じが心地いい。
2006.10.24
 昨日はバイト先の飲み会だったため(社員の方ふたりの送別会のはずが主賓の一人が欠席という適当さ(笑)。後日、もう一度開くそうです)、メモを書けませんでした。その分今日はいろいろ書きますよー!

 金曜に、「ハウルの動く城」のDVDを買ってきました。「図書館内乱」で郁が慧に「『未来企画』へは行かない」と向き合う場面を読んで、ソフィーがサリマン先生に「ハウルはまっすぐよ」ときらきらした瞳で語るシーンを思い出したのです。そしたらもうどうしても見たくなって、買ってきてしまいました。家に帰り着いてから、翌日バイトにも関わらず夜中の1時半までかけて観て、映画館で見てぶりだからおよそ2年越しなわけですが、感じ方がだいぶ変わっていて自分で驚きました。
 当時は、ジブリ映画の中ではあまり好きな方ではなかったんです。原作があった上で作られた映画だ、ということも関係していました。全体のストーリーのあらすじだけをささっと見せられた感覚があったんです。
 今見ると、いろいろなシーンごとにじんわり感じる部分があって、ただまっすぐな物語だと思えます。ソフィーとハウルの空中散歩のシーンは2年前も今も大好きなんですが、今はそれと同じくらい、花畑のシーンがきれいで泣きそうになります。ハウルの変化してゆく心(というと語弊があるのかな。ラストシーンでソフィーがハウルに心臓を戻すまで、ハウルに心はないのだし)が嬉しくて、「ようやく守らなければならないものができたんだ。君だ」というせりふが、何度聞いても胸がつまります(何度聞いても、ということはつまり、金曜の夜に買ってから今までにすでに何度も見返してるんですが。笑)
 私は幼稚園のころに「風の谷のナウシカ」を何度も観て(週に一度や二度は見ていたと思います)、宮崎駿監督の映画というとここが原点になるのですが、「風の谷のナウシカ」をつくった当時の宮崎監督には、「ハウルの動く城」はつくれないだろうな、と思うのです。それは技術だとかっていう問題ではなく、歳をとっていろいろなものが剥けないとできないことってあると思うんですね(こんな若造がこんなこと言ってると生意気極まりないですが)。ソフィーが「カルシファーに水をかけちゃった」って泣くシーンとか、あんなふうにぼろぼろと泣く様子なんて、かっこつけたがる若いうちは絶対に描けないと思うんです。
 けど、歳をとれば絶対にかっこつけじゃなくなれる、ってことでももちろんない。成長をためらわない、固まってしまわない、その力としなやかさは周りを巻き込んで幸せにしてしまう力です。
 DVDを買ったのって、実はこれが初めてなんですが、よかったです。やっぱり、好きな作品が形として手元にいてくれる、って、嬉しいことですね。
 ところで、少女が突然老婆に、というのは「13ヵ月と13週と13日と満月の夜」と同じ流れなんですが、イギリスにそういう童話とか伝説があるんでしょうか? ちょっと気になります。

 さて、次に、書こう書こうと思っていた「クマとインテリ」の話でも。一応、BLだとかゲイだとかの話になるので、あまりストレートな書き方はしないつもりですが、苦手な方はご注意くださいませ。では、こちらは下のリンクからどうぞ。
「クマとインテリ」の感想へ

 今は「フラッタ・リンツ・ライフ」を読んでいます。この雰囲気に触れるのは久しぶりで、心地よく流れています。
2006.10.22
 土日はバイトがあるため、なかなかメモを書く時間がとれません。

 「図書館内乱」と「レインツリーの国」、読了しました。まずは順当に、「図書館内乱」から。

 正直な話、「図書館戦争」のノリを期待して読むと感覚がずれました。ずきりとする部分、やるせなく痛々しい場面がありました。手塚と手塚の兄の間にあるものが寂しく、持て余してしまいそうになります。
 また、柴崎については、ふと思い出してしまう知人がいます。人の関心を引いてしまうことの意味、犠牲になるものを思うと、柴崎のような生き方を選ばざるをえないのかもしれない、と感じます。私の知る彼女は、常に笑顔を絶やしません。けれどその笑顔は心からのものというより、なにかをおおうためのものに見えて、柴崎を知った今は、そうしなければいられなかったのかもしれないと、思うのです。
 だからこそ、郁の存在が嬉しい。手塚も、柴崎も、郁のために憤れる。それは、間違いなく救いだと思うのです。

 「レインツリーの国」について。
 「繋がった」感覚。わかります。会話が成立する、というのは実は大変なことだと思うのです。言葉がかちあうというのは、投げたものに返事がくるというのは、素晴らしいことなんじゃないか、と。
 そしてまた、私も沙々雪という本に対する想いをつづるサイトを持つ人間で、あんなメールをくれる人に見つけてもらえたひとみがうらやましくもなりました。
 途中、端々に自分とリンクするところがあり、正直な話、冷静に読み進められないこともありました。涙が止まらず、それ以上読み進められない部分もありました。
 本音を言うなら、ちょっとへこたれそうになったのですが、それでも、この本に出会えてよかったです。今はまだ無理なのですが、いつかまっすぐにこの本に向き合えたらいいなと思えます。自分の感情に振り回されず、伸とひとみにしっかりと視線を向けられたらと思います。
 (私事がからんでしまったため、なんとも歯切れの悪い感想で申し訳ないです。「レインツリーの国」という小説に対しての感想を、自分の感情から上手に切り離して書くことが、今の私にはまだできないんです。)

 まだ2、3点書きたいことがあるのですが、それはまた明日にでも。