メモ
2013.01.01
 世界各地で食肉文化のあり方は様々で、それを十把一絡げにしようというのが無茶なんだな、と気づく。著者は自分の感覚に合う国を肯定し合わない国を否定するけど、それは無理だ。だって環境が違う。
2013.01.01
 「動物をつぶすことから逃れることはできない。(中略)なのに、いや、だからせめて、ということなんだろうが、動物が死ぬ直前まで苦しまないようにと活動する動物愛護運動は、動物の命を戴くことを正面から受け止めきれずにあがいているようで、馴染めない(p.129)」

 ふむ。ならばあっけらかんとしていればよいんだろうか。死んでもらう動物にとってもっとも負担のないやり方を考え続け葛藤し続けることが、もっとも「受け止める」ということだと思えてならないのだけど。
2013.01.01
 「食べられずに棄てられるなんて動物も浮かばれまい」と言いながら、「確実な意思の疎通ができない動物に対して、人間が、かわいそうだとかストレスだとか解釈することじたいが「奢っている」と思う」と言う。うーん、わからない。(p.126)
2013.01.01
 「第四章 イスラム世界」の最後で形骸化している犠牲祭について(生け贄の動物を業者に屠畜してもらうだけで食べず、業者がそのまま廃棄するということがあるらしい)、「食べずに棄てれば(中略)羊や牛たちも浮かばれまい」と書いてある。これ、本気なんだろうか。ヒトが食べれば動物は浮かばれるのか。なんて傲慢なんだろうと思う。
2013.01.01
 世界の「動物が食肉になる過程」、つまり屠畜(屠殺)をレポする本。
 「第一章 韓国」の最後で、食肉文化が日本よりも発達しているにも関わらず屠畜に対して恐怖感や罪悪感の強い韓国に失望し、それでも「地球上、肉をまったく食わない土地はほとんどないのだから、もっと楽しく屠畜するところがどこかにある」と希望を持とうとする著者は、つまり「屠畜に対する罪悪感」を否定しようとしているわけで、ようするに自分の感覚を誰かに肯定されたいだけなんじゃないのかなあと思ってしまう。もしくは、「動物に食べさせてもらってる」現実を「いけないことじゃない」ことにしたい。

 本文459ページのうちまだ51ページなので、なんとも言えないけれど。読み物としては面白いけど、勉強にする本じゃないなと。