メモ
2013.03.03
 ひとまず一度通読してみただけなのであまりどうこうとは言えないが、キェルケゴールはこの著述をキリスト教の教化的なものであるとしているし、実際最終的に「死に至る病」=「絶望」から抜け出る方法はキリスト教を信仰することであるとしている。つまり、キリスト者以外への救済はないとされている。
 なので、そもそも書かれていることをそのまま受け入れるわけにはいかない。

 が、まあそれはそれとして、人間が陥る絶望という状態についての論述はとても興味深かった。冒頭で行われる「自己の規定」に関する記述がすさまじくわからなくてどうなることかと思ったのだけど、「ひとまず通読だけしてみる」という前提に立って読み流してみたら、その後の部分は最後まで非常に読みやすかった。

 何度か読み直さないと理解できない(というか回数を重ねるだけでは理解できない)だろうとは思うのだけど、できるできないはおいておいて、やはりいずれ再読しなければなあと思う。
2013.02.26
 『アッシュベイビー』読了。どうしようもないし何にもないしレビューで星つけるとしたら星1でしかありえないけど、ここにいずれ金原さんが書くはずの傑作の臭いを嗅ぎ取れないひとは非常にもったいないと思う。
 いや、私の場合は個人的思い入れが強すぎるのもあるんだけど。金原さんの書く女性は私と何もかも似ていないんだけど、同じだなあと思う。同じ地面から、彼女らは枝葉を伸ばし私は根を伸ばしている。
 全然おもしろくはないんだけど、金原さんの使う言葉はすがすがしいなあと思いながら読んでいた。
2013.02.23
 ようようやっと『バベル』を観た。日本公開が 2007 年、ずいぶん長いことかけてしまった。公開当時から気にしていたのに、諸事情あって今にまで延びてしまった。

 いや、はや、今はなにも言えない。
 観終えた後に監督を確認し、イニャリトゥという名前は聞き覚えがある、と調べたら『ビューティフル BIUTIFUL』の監督で、しかも『ビューティフル BIUTIFUL』と『21 グラム』は同じ監督であるということもここで知り、そりゃあこれだけ私にとって重たいはずだと思った。

 公開当時にスクリーンで観ておけばよかった。今観ても充分 “映画” だった。このふたつが両立するってすさまじいことだ。この監督の映画は観ていないものも観ねばなるまい。
2013.02.19
 図らずも、とてもよく似た構図の映画を同日に続けて観てしまった。数十年に渡る生涯すべてをつらぬいた恋。

 が、描かれているものはずいぶん違う。

 今作のフロレンティーノは狂人である。しかも、完璧な狂人である。穏やかで、愛のために生き、その愛はゆるぎなく、それゆえに狂人である。
 覚醒した昏睡、頑迷な恭順、盲目な透徹。異常であるとしか言いようのない彼がそこにいる。彼が愛した女性がいる(もはや彼にとって彼女は女性であるのかひとつのイデアであるのかもわからないけれど)。
2013.02.19
 完膚なきまでに恋愛だけが描かれた映画である。と、いうことは、ほとんどイコールで私にとって意味を成さないということだ。山田詠美さんの小説を読んで、「性は生身の体の間でしか価値を持たない」と言った。どうやら、恋愛も同様の位置に来ているらしい。

 美しい自然の描写に、『レオポルド・ブルームへの手紙』を思い出した。あの映画が私にとってどれだけ特別かをふたたび実感する機会となった。

 自分の体の自由が効かなくなってからの人間は美しくはいられない。その部分をすべてすっとばして美しくしか描かないのは、制作側のずるさだと思う。