メモ
2008.04.25
 「日本人と日本文化」を読みおえました。
 これは、新書を読もう、と思ったときに書店で手ごろなものを探していて、「司馬遼太郎」という知っている名前が書いていたからというだけで手に取ったもの。もちろんタイトルにもひかれたけれど、ちょっと不純な動機だったと思う。でも、面白かった。とても読みやすい。

 書かれたのは1972年で、内容はドナルド・キーンとの対談。対談のテーマはタイトルの通りで、日本人とは、そして日本文化とは。私は知識人ではないので、お二人が当然のように出してくる名前や歴史、文化背景の半分もわからない。けれどそれでも充分に楽しめるほど、奇をてらったりあえて話を小難しくしたりしない、心地よい奥深さがあったように思う。
 こんなふうに話をできる相手とめぐりあえたお二人がうらやましいし、話をするだけの深さを自身が持っているということもうらやましい。

 さて、ここ数日新書ばかりに精を出していましたが、次はおすすめいただいている「女王の百年密室」を読もうと思います。
 新書を読んでいたのは、単純に、そういう波が来ていたからです。その波は「孤独であるためのレッスン」を読んで生まれたものだと思うのですが。

 新書の面白さというのは、知識を吸収するというとても即物的なもので、一度はまると癖になります。一冊では満足できなくて、今回のように一気に数冊読んでしまう。
 でも結局のところ、新書を読んで得られる楽しさというのは、目の前にぽんと答えを置いてもらったうれしさ、悩んで答えを探さなくていい、苦労のない楽しさでもあると思う。
 小説は、作家が書いたことを読んで、その裏側にひっそりと感じられるもの(ストーリーや登場人物に明確に現れているものではなく)をずっと時間をかけて蓄積して、無意識のうちにいつも悩んでいくような、そういう重い楽しさだと思う。だから、たまに休憩が欲しくなって、新書の時期がやってくる。
 けれど、これはあえて断言すると、一度小説の重い楽しさを知ったら抜け出せる人はいない。新書の軽い楽しみはあくまで副菜としての意味しか持たない。もちろん主食だけでは胃がもたれてしまうから、とても重要ではあるけれど。

 ということで、また小説を楽しむ元気が出てきたので、「女王の百年密室」です。「スカイ・クロラ」シリーズ以外で森さんの小説を読むのは初めて。
2008.04.24
 昨日から読み始めていた「武装解除―紛争屋が見た世界」を、今日読了。昨日は一日休日だったので読みきれるかなと思ったけれど、無理だった。

 アマゾンでの評価の高さを見て手に取った本だったけれど、星5ばかりがつけられることに充分納得がいく内容だった。
 東チモール、シエラレオネ、アフガニスタンでの武装解除にたずさわった著者が経験を基に、憲法第九条を掲げる日本が国際紛争に対して持つべき立場や責任について考察する。
 細かく話し出すととてもとまらないので、ひとまず、ぜひ読んで欲しいとだけ。今この世界に日本人として生きているのなら、知っているべきことがたくさんつまっている。最後に、著者は憲法第九条の改正についての見解を示すけれど、それはひとりの日本人として心から恥ずかしくなるものだった。けれど、著者の論理は説得力にあふれていて、とても反論などできない。まず、反論できるだけの行動を起こすことから始めなければならない。

 憲法第九条は、自衛隊のような組織を認めていない。しかし、自衛隊を放棄することは現実を見れば不可能である。
 では、憲法を改正して軍隊を持つことを認めるべきなのか。認めたとして、その軍は、国際紛争に対してどのような働きを持つべきなのか。
 あるいは憲法を改正しないとしたら、日本は自衛隊という軍事行動が可能な組織を持ちながら、国際紛争には資金援助だけのかかわりでいいのか?

 もちろん、著者の意見だけが正解ではないと思う。けれど少なくとも、私は著者の示した結論に、口をはさむことができない。

 タイミングが合ったので、せっかくだしと思って「大いなる陰謀」を観てきた。読了はしていなかったけれど、この本を読み始めている状態で観てよかったと思う。せっかくなら、以前に公開されていた「ブラッド・ダイヤモンド」も観ておけばよかった。
2008.04.23
 結局昨日は、夜を徹して「黒いスイス」を読みきってしまいました。もう残り少ないし、と思って読んでいるうちに時間がどんどん過ぎて、真夜中も大幅に過ぎてからの読了になってしまいました。

 この本を書いた動機について、あとがきで著者は、スイスの人々は情感細やかな親切な人々なのになぜさまざまな暗い歴史を持つことになってしまったのか、それを理解したかったといったことを書いています。このような動機があったためだと思うのですが、スイスは日本人の思うような理想の国ではなく最低の国だ、という単純な視点からではない、事実に基づいた偏りのない見解が示されているように思います。もちろん、著者の視点が混入しない本はないけれど、それでも、危険な偏り方の視点はなかったと思います。

 この本で主に取り上げられている「黒い」スイスとは、スイスの人々の一部に残っている人種差別意識、他国にはない独自の政策(ヘロイン患者の治療のためにヘロインを合法的に支給する)、スイス銀行の預金者の情報開示拒否(スイスでは脱全は犯罪ではないため、他国で脱税した金をスイス銀行に預金した場合、その他国が情報開示を要求してもスイス銀行は応じない場合が多い)などです。そして、これらもろもろの政策や他国への態度は、多くの国から批判されています。その批判の方向性をまとめると、国際社会において、自国の利益だけを考えすぎている、というのが大きなひとつのようです。

 スイスは九州ほどの大きさの小国で、その中で自活してきた国です。小さいからこそ満ち足りることができた(経済的にも政治的にも、住民たちの関係も)、というのはきっとリアルな感覚として、スイスの人々に根付いているのではないかなと思います。この本のなかでも、直接民主主義(住民全員が集まって議題について決をとる方法の民主政治)にこだわる姿が書かれています。
 そこへ、外国人の流入や他国からの圧力がかかれば、「自分たちは自分たちの責任だけでここまで発展し、安定を勝ち得てきた。それを横から手をつっこまれて荒らされるいわれはない」と感じるのは、ある意味では、当然のことなのかもしれません。

 けれどそれがどこまで通用するのかと言えば、現在の世界はそれを許さないところまで、国同士のかかわりが深まっているように思います。かつての日本のように鎖国することなど、今の欧州でできるとは思えません。
 自国の利益を考えるなとはもちろん言えない。しかし、自国と他国のバランスをもう一度考え直さなくては、この地球という小さくなりつつある世界で、居場所を失うことにもなりかねないような気がします。それは日本についても、同じことが言えますが。
2008.04.22
 昨日から、「黒いスイス」という本を読んでいます。読みやすい新書で、たぶん明日には読み終わると思います。
 タイトルの通り、日本ではあまり知られていないスイスの暗い歴史や実情を伝えた本です。発行されたのは4年前なので、現状がどれくらい変わってきているのかはわかりませんが、ひとつの視点として、とても面白いと思います。「スイスってのどかなイメージだったけど本当はこんな怖い国だったのね」というのではなく、「おなじ地球に存在するひとつの国である以上、夢のような理想の国などではありえない。また、それはスイスに限った話ではない」という視点を改めて持つという意味で。
2008.04.21
 おすすめ頂いていた「孤独であるためのレッスン」を、今日読了しました。
 私にとって、深くうなずける部分が多い本でした。細かい部分では理解できないところも、納得いかない部分もあったけれど、孤独であることの価値についての話は、私の価値観とよく一致しています。

 私は小さいころから周りと同一になることがどうしてもできなくて、基本的に、学校のクラスでは孤立している子どもでした。その状況に陥っている自分をずいぶん苦しく感じたことも、自分は上手に立ち振る舞えない不器用な人間なんだと投げやりに諦めたこともありました。
 そんな状態から、周りと馴れ合えない自分につきあう覚悟が決まったのが高校一年のころ、孤独に閉じこもらず、かといって馴れ合うのではなく、きちんと人と相対そうと思ったのが高校三年のころだったと思います。
 今では私は、孤独に陥ることよりも、孤独でいられない自分になること、だれかと一緒にいないと居られない人間になってしまうことの方に、強い恐怖感を抱くようになっています。

 著者の考えや実体験がつよく表に出ている分、きっと好き嫌いは分かれる本だとは思いますが、文体がやわらかいこともあって、孤独でいることを回避しようとしている人(特に、そんな自分になんとなく罪悪感や違和感がある人)には、面白い経験になる本じゃないかなと思います。

 おすすめ、ありがとうございました。自分の考えと照らし合わせつつ、整理しつつ、面白い読書ができました。