メモ
2007.04.16
 12日から読み始めて、今日「永遠の森 博物館惑星」を読み終えました。

 私は美しい文体が好きで、本を読むときはストーリーと同時に、どんな文体で書かれているかというところもずいぶんと気にします。けれど、「永遠の森」に関してはちっとも文体に気を留めないまま、ただストーリーだけを追っていました。それだけ、ただひとつの物語として面白かったです。

 <ムネーモシュネー>を持つ孝弘が、どうにもうらやましくてなりません。求めるものを与えてくれる存在が、いつだってただ後ろに控えてくれている。その絶対的な安心感。けれど、<ムネーモシュネー>が万能であればあるほど、孝弘自身は自分が自分であることの価値を見失っていく。美を愛し求めていたはずが、美を分析しようとばかりする自分になっている。その、理想から遠のいていく自分に気付き、向き合うことが書かれている一冊。
 美術品や芸術品に関する、ロマンティックで純粋なエピソードの数々が登場するけれど、そのまっすぐさと対照的であるからこそ、純粋なだけではいられなくなってしまった孝弘のジレンマやもどかしさが、あたたかい視点で見えてくる。
 最後の最後に登場する美和子は、孝弘にとっての救いの女神のようで、なんだか私まで美和子に救われたような気がしてきます。
 とっても心地良い小説でした。解説にも書いてありましたが、ぜひとも続編が出て欲しいと願いつつ、機会を見つけて読み返したい一冊になりました。おすすめ、ありがとうございました。
2007.04.11
 「本格小説」、読み終えました。読了したのは昨日の夜だというのに、まだ頭は物語の世界を抜け出せないまま、さまよっています。

 人は、人によって形成されます。人に囲まれ、人と語り合い、人を見つめながら育つから、ヒトというただの生物は人になるのです。東太郎という人物、彼にとって、真実自分の周りに存在していたのは、きっとよう子ちゃんだけだったんでしょう。ひとりしか存在しないのなら、その人が自分にとってのすべてにならざるを得ません。そうやって、彼は人になったのでしょう。
 自分にとって唯一の人、その人にとって自分は唯一ではない。それを、不幸と思うのも、なじるのも、嘆くのも、東太郎にできることではありません。それは、多くの人を持つ人間だけができることです。たったひとりしかいなければ、歯を食いしばってでも、感情を殺してでも、ただ想い、側に居ることを願い続けるしかできない。そうしなければ、人でいられない。その凄まじさは、想像で足るものではないと思います。そして、その凄まじさをもっとも近いところで見守り続け、秘め続けた冨美子がたった一度語った物語。けれど語り部である彼女ですら、傍観者ではない。

 今は失われた古い時の中を生きていた、幾人分もの生涯を見せつけられ、圧倒されて、もう少しだけ、この物語の世界にひたっていることになりそうです。
 おすすめ、ありがとうございました。こんなにも存在感に圧された小説は、久しぶりです。
2007.04.06
 昨日の夜、ようやく「本格小説」の上巻を読み終えました。ようやくと言うべきか、霧の中だった東太郎の姿が明らかになりだし、息をつめて読み進めています。情景を思い浮かべながら、それぞれの心中を推し量りながらの読書で、速くは進みません。じっくり、世界にひたっています。

 それと、同じく昨日、インデックスのその他のページに、村上龍の「69」を追加しました。これ、高校の図書館で借りて読んだのをすっかり忘れていたのです。ふいに思い出して、大慌てで追加しました。村上龍は、興味はかなりあるものの、正直とっつきにくく、なかなか手が出ない作家です。
2007.03.30
 「本格小説」の上巻を読んでいます。今は、「一 迎え火」が読み終わろうかというところ。先が見えないながら、全体にただよう雰囲気に惹かれています。この作者の小説は初めて読むのですが、とても心地良い文体を書く人ですね。じっくり、読み進めていこうと思います。
2007.03.26
 長いことこのメモがほったらかしで、申し訳ありませんでした。オフ生活が慌しく、せっかくならゆっくりと「大地の子」の感想を書きたいと思い、結局そのままになっていました。

 23日、金曜の夜に「大地の子」を読み終えました。記憶にある限り、大河小説というのを読んだのはこれが初めてだったのですが、史実を調べ上げて書かれているということを差し引いても、文字だけでこんなにも広い世界を描けるのかと、改めて「小説」という媒体の力を見せられました。
 日本人であるということが、あらゆる面でハンディとなるその場所で、ねじれることなく生きていく一心のたくましさが、涙が出るほどに愛しく、またとても嬉しくなりました。そして同時に、戦争孤児のことをほとんど知らないまま安穏と暮らしている自分を思うと、たまらなく申し訳なくもなります。
 自らを「大地の子」と呼んだ一心は、「国」という枠を超えた、とても大きな視線を持ったと思うのです。愛国心とはまた違う、自分を育んだ大地を愛するという心。そこに人種はないし、優劣もない。大地を愛するということは、そこに暮らす人々を、自らも含めて愛していくということにつながると思うのです。厳しい思いをしてきた人は、強さと優しさを持てると、そんなことを改めて知りました。

 ところでこれはまったくの余談ですが、以前、「自分の子どもに名前をつけるなら?」と考えたときに、男の子につけたいと思った名前は「一心」と書いて「いっしん」という名前でした。

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 「ミミズクと夜の王」、昨日の夜に読了しました。

 「まっすぐ。」この言葉がこんなにも似合う小説は、そうそうありません。どんでん返しはない、意外な結末もない。でも、小説の価値はそんなところにはないんです。
 「つらい」ということを忘れてしまった、忘れずにはいられないほど打ちのめされていたミミズクが、心を取り戻す物語。笑うことを忘れるだけならばまだましで、泣くことすらも忘れてしまったミミズクは、確かに人として壊れていたのです。
 ミミズクはフクロウに救われて、同時にフクロウもミミズクの存在に、孤独や痛みを癒された。その事実が、底抜けにあったかくて、嬉しい。
 抜け出せる磔から逃げなかった夜の王の、その不器用すぎる優しさの形が、私はとても好きです。ミミズクと一緒に、いっぱい幸せになって欲しい。
 おすすめ、ありがとうございました。ミミズクとフクロウに逢えて、嬉しかったです。